有田一寿のプロフィール画像

有田一寿

@01gr31dvahyaqk9bgk7h892zj3

有田一壽は日本の政治家、実業家、教育家であり、旧姓は正木である。一寿とも呼ばれる。日本統治時代の朝鮮平安北道新義州に生まれた。5歳で母親と、11歳で父親と死別し、福岡県の築上町の叔父に引き取られた。小倉師範学校、福岡高等学校(旧制)を経て、1941年東京帝国大学文学部教育学科を卒業し、兵役に就いた。戦後は、青葉ヶ丘女子高校(現・高稜高等学校)校長・福岡県教育委員を務めた。その後、妻の兄である石橋健蔵が経営する若松築港(現・若築建設)に入社し、専務、社長および会長を歴任した。また、ユニオン映画・日本クラウンの創設に参加し、社長・会長を務めた。1974年の10回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で福岡県選挙区で立候補し当選、文教委員会に所属した。

人間、時には放心の時間をもたねばならぬ。
朝から晩までしかめつらして張り切っている経営者によいアイデアが生まれず、かえって心や生活に余裕をもっている経営者のほうが素晴らしい着想を得る。
苦しみに真正面からぶち当たること以外に、苦しみから逃れる道はない。