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デイル・ドーテン

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デイル・ドーテンは、ビジネス分野のコラムニストである。起業家、実務家、講演者、キャリアセミナーを開催するコンサルタントとして活躍している。 1980年にマーケティングリサーチ専門会社であるリサーチ・リソーセスを起業し、マクドナルド、3M、P&Gなどの国際的大企業を顧客に抱えた。1991年に新聞に発表した経済コラムで知られるようになり、100社以上の新聞社に配信されて多くの愛読者を持つようになった。

たいていの人は、マンネリ化した生活から抜け出すために目標を設定する。だけど、いいかい、今日の目標は明日のマンネリなんだよ。
チャンスの数が十分にあれば、チャンスはきみの友人になるのだ。
ずば抜けた人材はね、ずば抜けた環境に惹きつけられるんだよ。
仕事選びの大切な基準は、“いまより幸せになれること”なんだ!
一つの問題は一つのチャンスだ。問題というのは、自分がどんなにうまくその問題に対処できるかを示すチャンスだ。
人々は、したくもない仕事をし、同時にそれを失うことを恐れているんだ。
必要は発明の母かもしれない。だけど、偶然は発明の父なんだ。
まず秀でること。そうすれば求められるようになる。
優れた部下は、何が必要かを私に教えてくれる。私が彼らに教えるのではない。
人生はめいっぱい跳びはねなきゃ!
“ほんもの”と言える上司の際立った資質の一つは、部下を向上させる“才能”なんだ。
できるかぎりいろんなことをとにかくやってみること。そうすれば、そのアイデアがまた別のアイデアを引き寄せる。始めさえすれば、新しいアイデアのほうからきみのもとへ近づいて、飛びついてくるんだ。
人は、(今日と)〈違うもの〉になって初めて〈より良く〉なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。
並みの上司はチームプレーヤーを探す。優れた上司は同士を探す。
画期的な成功というものは、それに値する仕事がなされようとなされまいと、収めることができる。
だれだって、後からだったら、何だって言える。革新というのは簡単そうに見えるものなんだ、後から見ればね。
有能な部下は自分に対してきわめて厳しい。彼らに批評は必要ない。ただ、よくやった、とほめるだけでいい。
変化は冒険だ。しかし試みならやり直しがきくし、ちょっと無謀なことだってできる。
彼らはね、他人を凌駕する人材になろうとしているけど、それを他人と同じような人間になることで達成しようとしているんだ。そして、どうなるか。手に入るのはせいぜい、その業界の上位十パーセントに入るという十分の一の確率のチャンスくらいなものだ。
“ほんもの”の上司はまず第一に、みんなに働きたいと思ってもらえる場を思い描き、そういう場をつくり出す。
パッと浮かぶ考えはたいてい使い古されたものだし、パッと浮かんだわけではない考えの多くもやっぱり使い古されたものだ。
優れた部下は、上司の肩をポンとたたいて「今度はどんな仕事をまわしてもらえますか」と尋ねる。
目標や夢がないからという理由で失敗した事業を、僕は知らない。
部下がのん気に構えていれば、それは変化を与える合図だ。
人を“従業員”として扱うと、それなりのものしか返ってこない。彼らは五十セントでも時給の高い職場を見つけたら、さっさと辞めてしまうだろう。しかし、“仕事仲間”として扱うと、すべてが違ってくる。
完璧では十分じゃない──まだ試してみる必要がある。
成功する人たちは、自分がどこへ向かっているかということはわかっていない。ただ、遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守ろうと思っている。
“ほんもの”の部下とは、管理される必要がなく、上司にいい仕事をさせ、部署全体をより高いレベルに引き上げるような部下だ。
本当に優れた上司のもとで働き始めた人間ははっきりと知る。給料よりもっと大切なもの、つまりチャンスと変化が得られることをね。この上司のもとでなら、きっとチャンスに恵まれる、収入ならあとからついてくると信じられるんだ。
部下にとって“自慢の種”になるものを職場につくること。何か誇れるものが、職場には必要なんだ。
目標を設定すると、自己管理ができているような気がするものだ。
解雇が“社員管理の重要な道具”になりうる。
人生を省察することとは、積み重なった愚かさを一層ずつ剥がしていくことだ。
権限を手放すことも、優れた上司の特徴だ。それも、ただ手放すんじゃなく、だれかの手にポンとゆだねるんだ。
明日は今日と違う自分になる。
簡単に解雇できるということは、その人のことをきちんと考えていないということだ。
いちばんの部下は、私の持っていないものをすべて持っていた。私はその部下の持っていないものをすべて持っていた。
人は、変化は大嫌いだが、試してみることは大好きだ。
きわめて優秀な部下は、決まって起業家タイプだ。新しいプロジェクトを次から次へと考え出さなければ、彼らの関心をつなぎとめておくことはできない。
(働きながら)笑顔でいることができないなら、あなたは、ほんとうの意味で働いてはいないのですよ。
“ほんもの”の上司とは、会うのが楽しみで、きみを高いレベルに引き上げてくれる人だ。
とかく人は他人の成功を見て、成功とはどうやって手に入れるものなのか理解しようとする。
本当の達成というのは、あるべき状態より良くあること。ただ良いだけじゃなく、目を見張るようなものであること。マジックだね。
いい部下はきわめて大量の仕事をこなす。だからといって勤務時間がいちばん長いとは限らない。いつも会社に一番乗りというわけじゃないのに、ものすごくたくさん仕事をするんだ。
会社自体がしっかりしていなかったり、職場環境が最悪だという場合、さっさと辞めてしまうのはいちばん優秀な社員だ。これは人数的にはわずかだとしても、損害は計り知れない。トップの“頭脳流出”だからね。
毎日毎日、違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。
最初は部下として“優秀”と言えなくても、育て方を熟知した指導者から刺激を受けることで優れた部下になっていける。
もしかしたら、最も優れた英知とは、「私は愚かだった!」と言って笑うことなのかもしれない。
従業員に、(自分の仕事・持ち場について)“自分のもの”という気持ちを持たせたり、能力を示すチャンスを与えることは、彼らのやる気を大いに刺激し、逆にそういう気持ちやチャンスを奪うことは“罰”を与えることになる。
自分と共にあって自分を信じてくれる部下がいる限り、部下に対する責任を果たすべきでしょう。
新しいアイデアの源泉は古いアイデア。
人生とは、くだらないことが一つまた一つと続いていくのではない。一つのくだらないことが何度も繰り返されていくのだよ。
一つの規準は千回の会議に匹敵する。
仕事は楽しくなくちゃだめだ。職場から笑い声が聞こえてこなければ、(上司である)きみのやり方は間違っているということだろうね。
人はチームのかなめになりたがる。自分はチームのかなめだと信じ込むと、人々は互いに協力し合うようになり、そのために監督業の仕事までどんどん自分たちでこなすようになる。
ビジネスの哲学は、“手助け”というたった一つの言葉の中に凝縮されている。
優れた上司を選べば、確実に才能を伸ばしていける。そして、自分が仕事をしていく上で大切な役割を引き受けてくれる、生涯の同志が得られるんだ。
“適切な時”とか“完璧な機会”なんてものはない。
人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ。
非凡な人間は凡庸な文句で口説き落とせるものじゃない。
成功するというのはね、右に倣(なら)えをしないっていうことなんだ。
どうすれば部下に、自分の能力の高さを証明するチャンスを与えられるか、考え出すのは容易ではない。だが、彼らの起業家的なエネルギーを活用する方法をなんとかして見つけなくてはいけない。無論、新たに会社を興させるのではなく。
“ほんもの”の上司と部下は、互いを管理の苦痛から開放している。すべてを把握し、すべてを支配するなんていう役割は放棄してね。
他人より秀でた人間になりたいなら、意識してお役所的な考え方から抜け出さないといけない。
ぜひほしいと思う人材は掘り出し物的に手に入るものなんだ。
経営者や社長は「ビジョン」だの「ミッション」だのと目標は掲げるが、それを達成する手だてとなると考えようともしない。
一か八かの賭けをしないなら、チャンスなど一つもない。
注意さえ払い始めたら、目にできるあらゆるところに偶然(というチャンス)が転がっているのがわかると思うよ。
部下の管理をうまくやるには、一日中、二つの質問をするだけでいい。もっといい方法はないか?これがきみにできる最善のことか?
この事務所ではね、だれかがへまをやらかしたら、必ず別のだれかが「ポスト・イットを思い出せ!」と叫ぶんだ。するとみんなが、一つの事業にまで発展したスリーエムの不完全な接着剤のことを思い出し、何か役に立つことが思いがけず見つけ出せないかとその過ちのことをじっくり検討し始める。
解決策というのは、後から振り返ってみれば、簡単に見つけられそうに思えるものだ
あらゆることをしろ。素晴らしいアイデアは、どこからやってくるかわからないのだから。
老いた人たちに後悔について語ってもらうのは不可能だ。経験を重ねるにつれ、人は過去を甘受するようになる。聡明な人間は、自分のみを責め、老いた後はその自分をも許してしまう。
実験好きな人だと評判になったら、みんなのほうからアイデアを持ってきてくれるようになるよ。
最高の仕事は人間同士の結びつきから生まれるものだ。
人生はそんなに規則正しいものじゃない。規則から外れたところでいろんな教訓を与えてくれるものだ。人生は学校の先生にとっては悪夢だろうね。
(お客に対して)“はい”のひとことですませるより、ずっといい答えが必ずある。
〈この場で〉〈ただちに〉始める
成功のための要素がたった一つしかないなんて、そんなことは絶対にない。
雇用プロセスは受け身ではない──採用する側は“選ぶ”のではなく“見つけ出す”ことが必要である。
仕事は楽しいかね?
優れた上司の仕事は、魅力的な職場環境をつくることだ。
(成功した)企業は、持つべき姿勢をしっかり育てて、それから画期的な成功を収めたんじゃない。画期的な成功を収めて、それから持つべき姿勢について、もっともらしい話をしたんだ。
部下をやる気にさせるためのいちばん勇気ある方法は、間違えること、彼らとの議論に負けることだ。
小説を研究しても小説家になれないように、成功を研究しても成功は手に入らない。
きみは模範的な人の真似をしようとするけど、それはある一つの道をたどって、ほかのみんなと似たり寄ったりの考えに行き着こうとしているにすぎない。
難しいと思うのは、ほかの人に変わってもらおうとすること、違う自分になってもらおうとすることだ。たいていの人は、変化なんて大嫌いだからね。
他人の成功を真似する人たちは一つところに群がって、しかも小競り合いをするのに忙しいものだから、先導者に、つまり革新者に追いつくことができないんだ。
良い部下は顧客の気持ちになってものを考える。そして組織のだれより顧客のことを理解している。
並の上司は部下の成長について、関知しない。優れた上司は、進歩という個人的な梯子(はしご)をのぼる部下を、次の段に押し上げてやる。
“ほんもの”の上司と部下が職場に求めるものは同じだ。1に「自由」、2に「変化」、3に「チャンス」。
ただの従業員ではなく、ビジネスの大事な担い手と考えてみてほしい。現場の大切な役割を彼らに任せるんだ。そして人に教えることで、勉強してもらう。
世の中は、きみの目標が達成されるまで、じーっと待っていたりしない。
経営者はよくこんな言葉を口にする。「優れた人材を雇え。 そして思うままに仕事をさせろ」。でもそんな決まり文句を言う奴の多くは、権限を譲るふりをしているだけだ。
ほとんどの職場は小学校さながらだね。大学を思わせる職場はほんの一握りだ。小学校というのはルールを教え、あれこれ小言を言うところ。大学は自由と発見の場で、能力を引き出すところ……少なくともそうあるべきところだ。
優れた部下というのは、目立ちたがり屋なんだ。自分の能力の高さを知っていて、それを証明するチャンスをねらっている。力を試せる場に出たいと思っている。
ある事柄が完璧だと決め込んでしまったら、その事柄はそれ以上よくならず、ライバルに追い抜かれるのをただ待つだけだ。“完璧とは、ダメになる過程の第一段階”ってことだ。
(物事を)試すことは簡単だが、変えるのは難しい。
人々が売り込みを断るいちばんの理由は、妙なものを買って失敗したくないから。
頭のいい人がする一番愚かな質問は、「あなたは五年後、どんな地位についていたいですか」というものだ。