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ドストエフスキー

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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、19世紀ロシアの文豪であり、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などを代表作としている。作品は170以上の言語に翻訳されている。現代の預言書とも言われている。

愛、実にこれが人生のすべてだよ。
世界を支配しているのは、神とその法則である。
今さら日数なんて数えて何になりますか。人間が幸福を知り尽くすには、一日あれば十分ですよ。
よき時代は天から降ってくるものではなくて、わたしたちが自分でつくり出すものです。それはわたしたちの心の中にあるものなのですよ。
真実を語るのは、機知のない人間だけである。
金が何よりも卑しく、しかも厭(いと)わしいのは、それが人間に才能まで与えるからである。
問題は時間にあるのではなく、あなた自身にあるのです。
あらゆる堕落の中で最も軽蔑すべきものは、他人の首にぶらさがることだ。
完成は、付加すべき何物もなくなったときではなく、除去すべき何物もなくなったときに達せられる。
苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。
娘が自分で惚れた男というのは、父親の目にはいつだって一番つまらない男に見えるものだ。
自分も生き、他人をも生かすようにする。これがわたしの信条です!
金こそは――取るに足らぬ人物を第一級の地位に導いてくれる唯一の道である。
人が子供を持つのは、たとえ自分は死んでも、子供たちが生涯自分の感情や考えを持ち続けてくれるからさ。
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。
いま全てが一変してはならぬという法など、どこにあるのか。
利口な女と嫉妬深い女とは、おのおの異なった、まったく別個なものである。したがって、どんなに利口な女でも、同時に嫉妬深い女になることができる。
他人に対してもっとやさしく、もっと気を使い、もっと愛情を持つことです。他人のために自分を忘れること、そうすれば、その人たちはあなたを思い出してくれます。
あの言葉はもちろん、思わず口からこぼれたのだが、思わず言っただけによけい重大なのだ。
神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。
苦しむこともまた才能の一つである。
すべて真実で美しいものには、つねに、いっさいを許すという、大らかなものがあふれている。
人間の後半生(こうはんせい)は、通常、前半生で蓄積された習慣のみで成り立つ。
最も簡単で、最も明確な思想こそ、最も理解しがたい思想である。
自分にまったく縁のない環境で暮らすほど恐ろしいことは、この世の中にまたとあるまい。
良心の自由ほど魅惑的なものはないけれど、またこれほど苦しいものはないのだ。
悪魔というものが実際に存在せず、ただ人間が創ったものだとすれば、悪魔は人間そっくりに創られているにちがいない。
夫婦や恋人同士の問題には決して口を出してはいけない。そこには世間の誰にも分からない、二人だけしか知らない一隅があるのだから。
悲しみの中に幸福を求めるがよい。働くんだ、たゆみなく働くんだ。
神は、(それを信仰する民族の)発生から消滅にいたるまでの、民族全体の総合的人格である。
楽園は我々一人ひとりの内にあるのです。それは今私の内にもあるのです。
決して一か八かというきわどいところまで進んではいけない。それが夫婦生活の第一の秘訣である。
善い人とは、強い人たちのことではなく、誠実な人たちのことである。
絶望のなかにも焼けつくように強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退きわまったみじめな境遇を痛切に意識するときなどはなおさらである。
私を静かにさせておいてくれ。私が静かにそっとしておれるものなら、いますぐにでも、全世界をだって、タダの一文で売り渡したいくらいものだ。
それにしても、喜びと幸福は、なんと人間を美しくするものか!なんと心は愛にわき立つものか!
「死んでやるわ」「でも、可哀想だな」「誰が?」「生命がさ」
愛情に満ちあふれた心には、悲しみもまた多いものである。
真の真理というものは、常に真理らしくないものである。
生を愛するが故(ゆえ)に、死を恐れる思想は欺瞞であり、生の苦痛を征服し、自殺する勇気を持った新しい人間こそ、自ら神となる。
私は何か善を行おうと思いながら、そこに喜びを感ずることができる。また同時に、悪を行いたいとも思い、そこにも喜びを覚えることもできる。
人間という奴はいつでも、人に騙されるよりは自分で自分に嘘をつきたがるものなのだ。そして、無論、人の嘘より自分の嘘の方を余計に信じるのだ。
誰も彼もがお前を見捨て、もう力ずくでもお前を追い払おうとしたら、そのときはひとりきりになって、大地にひれ伏し、大地に接吻し、大地を、お前の涙でぬらしなさい。
本当の真実というものは、いつでも真実らしくないものだ。真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。だから人間は常にそうしてきたものだ。
もし、この世のすべてのものが理性的だったら、なんにも起こることはなかっただろう。
人間、人間は哀れみなしには生きていけない。
女、女こそ男を完成させる唯一のものである
感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。
思想は感情のなかから生まれる。そしてその思想が人のうちに根をおろすと、こんどは新しい感情を形成する。
幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。
青春は、それが青春という理由だけで、もう清らかなのです。
もし他に方法がなければ乞食になってもいい。しかも乞食になったらその日から、手に入ったお金は自分のためにも、家族のためにも、無駄なことに絶対に浪費しないという徹底的な粘り強さ。――これさえあれば、人間は誰でも金持ちになれるものである。
堪え忍べ、働け、祈れ、そしてつねに希望を持て。これがわたしが全人類に一度に吹き込もうと願っている真理なのです!
人類の最も偉大な思考は、意志をパンに変えるということである。
人生で何よりも難しいのは、嘘をつかずに生きることだ。そして、自分自身の嘘を信じないことだ。
人間的なあつかいをすれば、神の似姿などとうの昔に消えてしまったような人をさえ、人間にすることができる。
人間のできる唯一のことは、自分自身が精神的に成長することです。
言葉に現れるものよりも内部に残っている方がずっと多い。
文明のおかげで人間がより残忍になったとはいえないとしても、前よりも残忍さが醜悪になったことは確かだろう。
金を持っている人間は、貧乏人がそのはかない運命を訴えることを聞くのが大嫌いである。
一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。
人生は楽園なんです。僕らはみんな楽園にいるのに、それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界中に楽園が生まれるに違いないんです。
人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間は今では人生を愛している。それは、苦痛と恐怖を愛するからだ。
恋の悩みや嫉妬はすべて退屈のなせるわざなのだ。惰性に押し潰されたのだ。
きっと真理は、いつもそうですが、どこか中間どころにあるんでしょう。
人間の行為の原因は通常、我々があとになってするその説明よりもはるかに複雑で多様であり、あいまいさなく明確である場合はまれだ。
世の中には、恋人とか情婦としては通用するが、ほかに何の役にも立たない女がいるものだ。
新しい一歩を踏み出すこと、新しい言葉を発することは、人々が最も恐れることである。
神様が時間を少ししか下さらず、一日に僅か24時間しか割り振ってくださらなかったもんだから、悔い改めることはおろか、十分に眠る暇もありゃしない。
娘の恋は母にとっては死である。
人間には、幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
「人類に対する愛」という言葉は、自分が心の中でつくりあげた人類に対する、つまり己に対する愛である。
神が存在しないならば私が神である。
みんなのために自発的にいのちを捨てること、みんなのために十字架にのぼり、火刑の火の中に入ることは、個性が最も強度に発達したときに初めてできることである。
希望を持たずに生きることは、死ぬことに等しい。
低い天井や狭い部屋は、頭と心を締め付けるもんだよ
ねえ、きみ、労働で神を手に入れなさい。
人間というものは、不幸の方だけを並べ立てて幸福の方は数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてさえすれば、誰にだって幸福が授かっていることが、すぐ分かるはずなのにね。
苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければ、いったい人生にどんな快楽があろう。
完全な自由というものは、生きていても生きていなくてもまったく同じになったとき、はじめて得られるものなんです。
苦痛と恐怖を征服した人間が、神となるのです。そのときにこそ新しい生がはじまる。新しい人間が生まれる。すべてが新しくなるのです。
理想主義者と現実主義者は、彼らが誠実で寛容でありさえすれば、その本質はおなじく、人類への愛であり、その対象はおなじく、人間であり、違っているのは、対象を表示する形式ばかりである。
夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである。
ああ、もし私に幸福になりうる力があれば、今の悲しみや災難などは何でもありません!
人間は卑劣漢として生きることができないのみならず、卑劣漢として死ぬこともできない。人間は清らかに死なねばならない。
強制でどんな信仰が生まれるというんだい?おまけに、信仰にはどんな証拠も役に立たないんだ。
人間というものは時として、何にそそのかされて我を押し通すのか、自分でも分からぬことがあるものだ。
自分はこの目の前に立っている犯罪者とまったく同じような罪人である。いや、自分こそ、この目の前に立っている人間の犯罪に対し、誰よりも先に重い罪があるのだと、みずから認識しないかぎり、この地上には犯罪者を裁くことのできる者は存在しないのだ。
ほんとうに人間はだれでも、すべての人に対し、すべてのことについて罪があるのです。人びとはただそれを知らないだけです。
ぼくが自分の神とするものの、その属性は、すべてにわたって自分の意志をおしとおすことにある!
どうか偶然なんてことをあてにしないで下さい。偶然のない人生というのもあるのですから。
私の欲しいのは金ではなく、また金の力でもない。金の力で得られるもの、また、その力なくしては、どうしても得られないものが必要なのだ。それは孤独な落ちついた権力の意識だ。
選ばれた者は、凡人社会の法を無視する権利がある。
女にとっての復活は、あらゆる破滅からの救いと更生は、愛の中にある。
幼年時代の思い出から得た神聖な貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない。
お前の部屋を見せるがいい。そうすれば、お前の性格を言い当てて見せよう。
しだいに高くそびえてゆく建物を見る喜びは、たとえ今までのところ、その建物にわずか一粒の砂を運んだにすぎない人でも、必ずや心の渇きをいやしてくれるはずである。
人間は従順な動物である。どんなことにも馴れてしまう存在である。
もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にする。
謙譲なれ!傲(おご)れる人間よ、何より先に自己の傲慢を破壊せよ。謙譲なれ、遊惰(ゆうだ)なる人間よ、何より先に親しき仕事場にて働け。