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道元

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道元は鎌倉時代初期の禅僧であり、曹洞宗の開祖としても知られている。大久保道舟が提唱した説では、京都木幡の木幡山荘にて、内大臣の源通親の父と太政大臣の松殿基房の娘の藤原伊子の母との間に生まれた幼名を信子丸という。道元は、禅宗の心学を書物の形式で伝播するほか、南宗大師である坐禅一門を開祖として、禅宗の学問・実践・伝統を確立した。

まことに生死事大(しょうじじだい)、無常迅速、時は人を待たず。
真実の自己になる。自己の真実を活かす。他の何者のためでもなく、ただわが心を活かすために力をつくす。
学道の人、すべからく、寸陰を惜(おし)むべし。
いたずらに過(すご)す月日の多けれど道を求むる時ぞ少なき
愛語は愛心より起こる。愛心は慈心を種子(しゅうじ)とせり。
我が身、愚鈍なればとて卑下することなかれ。
一塵を知れるものは尽界を知る。
世間の人に交わらず、己(おの)が家ばかりにて生長したる人は、心のままにふるまい、おのれが心を先として人目を知らず、人のこころをかねざる人、かならずあしきなり。
何かを望むなら、その事柄を寝ても覚めても、ひたすら想い続けよ。そうすれば、たとえ、よこしまな思いでも叶えられる。
名を捨て利を捨て、一切諂(へつら)うことなく、万事なげ捨つれば、必ず、よき道人(どうじん)となるなり。
この生死は、すなはち仏の御いのちなり。これを厭(いと)ひとてすてんとすれば、すなはち仏の御いのちを失はんとするなり。これにとどまりて生死に著(あらわ)すれば、これも仏の御いのちを失ふなり。厭ふことなく、慕ふことなき、このときはじめて仏のこころにゐる。
人は悟りを得たからといってそれで終わるのではない。たえず修行を続けることが本当の悟りなのだ。
玉は琢磨によりて器となる、人は練磨により仁となる、何の玉かははじめより光有る、誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。
眼横鼻直(がんのうびちょく)──目の前にある物事をありのままに見ることが大事だということ。
仏道をならうというは自己をならうなり
疑えば霧散し、信ずれば影向(ようごう)す。
愛語はよく回天の力あり。
時間は怒涛のように流れもするし、飛躍もすれば、逆回りもする。過去現在未来というふうに流れはしない。
自己に閉じ込められ、自己にこだわっている間は、世界を真に見ることができない。自己が自由に、自在に動くとき、世界もいきいきと生動する。
一法を通ずるものは万法を通ず。
何事も一心不乱にやれば宇宙の真理を体で感じとることができる。
松も時なり、竹も時なり
どんなに手強い敵でも、絶世の美女でも、貴重な宝でも、切に思う心、深ければ、かならず方便も出来様もあるべし。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり