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サミュエル・ジョンソン

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サミュエル・ジョンソンは18世紀イングランドの文学者で、詩人、批評家、文献学者として知られ、『英語辞典』の編集で有名になった人物である。生前から「文壇の大御所」として名高く、警句から「典型的なイギリス人」と呼ばれることもあった。父親は小さな書店主であり、家が貧しかった彼はオックスフォード大学の学費がかさみ、故郷に戻り教員になる。その後20歳年上の未亡人エリザベス・ポーターと結婚した。

友愛は恋情と同じく、わずかの途切れによって強まるかもしれないが、永い不在によって破壊される。
短い人生は、時間の浪費によっていっそう短くなる。
人間の心は、楽しみから楽しみへ移り変わるのではない。希望から希望へと旅するものだ。
もし人類の半分が勇敢で、半分が臆病だったら、勇敢な者は絶えず臆病者を打ち負かすだろう。彼らは絶え間なく闘っているだろうから。けれども、みんなが臆病者だから我々は大変うまくやっている。
怠け者だったら、友だちをつくることだ。友だちがなければ、怠けてはいけない。
神様でさえ、人を裁くのに、その人の死後までお待ちになる。
全ての人を称賛する者は、誰をも称賛しないのと同じだ。
自信は大事業を行うための一番の必要条件である。
言葉は思想の衣装である。
レジャーと好奇心は人類に有益な知識を発展させる。しかし、つまらない争いごとや、骨の折れる仕事からはなにも生まれない。
再婚は、(結婚生活に失敗したという)経験に対する希望の勝利である。
悲しみは精神のサビであり、活動がこれをぬぐい去って輝かす。
好奇心は力強い知性の最も永久的な特性の一つである。
見る価値があるって?そうだね。でも出向いていってまで見る価値はないね。
辞書は時計のようなものだ。いい加減な辞書なら無いほうがいいし、最もよい辞書でも完全に正しいと期待することはできない。
用心は人生を安泰にするが、人生を必ずしも幸せにするとは限らない。
恋は愚か者の知恵であり、賢い者の愚行である。
思いがけない火花が散ると、喜びの炎が最も鮮やかに燃え上がることが多い。
思慮分別は人生を安全にするが、往々にして幸せにはしない。
君の隣人を知れ、そして彼に関するすべてを知れ。
金を浪費し、なおかつ貯金する人は、最も幸せな人である。なぜなら、相反する二つの喜びを持つからだ。
釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。
思考しない者は、賢くはなれない。
君、人は自分の友情を絶えず補修せねば駄目だ。
人生についての知識のない本は、無用だ。
賢者はすぐに罪を許す。時の価値を知っているから、むだな苦しみで時が流れていくのに耐えられないのである。
腐敗した社会には、多くの法律がある。
私は征服されるだろう。だが私は降参しないだろう。
地獄は善意で敷き詰められている。
愛国心とは、ならず者たちの最後の避難所である。
信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。
節約なくしては誰も金持ちになれないし、節約する者で貧しい者はない。
喜びは捜し求めてもなかなか見つからない。我々の喜びのいちばん明るい炎は、思いがけないスパークによって燃焼されるのがつねである。
人生には、友情より気高い快楽はない。
金銭を取り扱いなれている金持ちの婦人は、それを思慮深く使う。だが、結婚して初めて金銭を自由にするようになった婦人は、それを使うことが面白くなり、ふんだんに浪費することになる。
収入を内輪で使いなさい。年末にはいつも幾らかの余裕を残すようにしなさい。収入よりも支出を少なくするようになさい。そうしている限り、一生たいして困ることは絶対にありません。
男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
病は一般的に死が達成する平等というものの始まりだ、といえるかもしれない。
人間は誰もが不可能とわかっていることを思い浮かべて悩むが、不可能とわかっているがゆえに詳細に検討もせずに追求しようとする。
家族の幸福のために貯えられる金は、一番よい使い方をされる。妻を世間並みに着飾らせて夫が喜び、自分が世間並みに着飾った姿を見て、妻が喜ぶ。
大志は可能性である。
たいていの人々は、都合と好みの混ざり合った動機によって結婚する。
あらゆる大望の最終目的は、幸福な家庭を築き上げることにある。幸福な家庭はあらゆる事業と努力の目標である。また、あらゆる欲求がこれに刺激されて実現される。
過ぎ行く時を捉(とら)えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。
平等主義者は彼ら自身の水準まで他人を引き上げることを望むが、彼ら自身以上に引き上げようとはしない。
誰もが、自分の考えている本当のことを発言する権利を有するし、誰もが、それを破壊する権利を持つ。
大偉業を成し遂げさせるものは体力ではなく、忍耐力である。元気いっぱいに一日三時間歩けば、七年後には地球を一周できるのだ。
不平をこぼす人間には、同情よりも軽蔑が与えられることが多い。
旅行記の良し悪しは、その人が前もって心の中に持っているもの、その旅行で見るべきものについての知識、一つの生活様式を他のそれと対照し得る能力、これら三つの多少に比例するものだ。
年寄りはみんな、世の中は堕落するし、若者らは気短く横柄だと、愚痴をこぼす。
あらゆる出来事の最も良い面に目を向ける習慣は、年間一千ポンドの所得よりも価値がある。
一人の男性が、一人の女性と一緒にいて楽しかったと言うとき、それは決して、会話が楽しかったということではない。
お互いの臆病が我々を平和に保つのだ。
無知が故意の場合は犯罪である。
困難はたいていの場合、怠情の娘である。
挑戦をやめてしまえば失敗はない。内懐(うちふところ)に攻め入らなければ敗北はない。
勤勉と熟達があれば、不可能な事はほとんどない。
結婚には多くの苦痛があるが、独身には喜びがない。
悲しみが生々しいうちは、気晴らしを勧められても、むしゃくしゃするだけ。
年を経るごとに新しい友人を得ることができないと、必ず孤独に悩まされるようになる。常に友情の手入れを怠らぬことだ。
音楽は背徳を伴わない唯一の官能的な愉しみである。
幸福とは一人で思い耽(ふけ)る時に見つかるものではない。幸福は他人や外側から繁栄してくる時だけ感じられるのだ。
他人の所業にほとんど関心を示したことがない人なら、自分自身も他人からわずかしか注目されていないことに気づくだろう。
花の咲く野の土をいくら掘っても、黄金の鉱脈は隠されていないが、荒野の下にはしばしば発見される。それと同様に、人生もその外観だけでは判断されがたい。悲哀と憂愁とが錦の衣をまとっていることもあれば、暗黒な不幸の喪服の下から、希望と幸福の眸(ひとみ)がのぞいていることもある。
思慮分別は、あらゆる知的な性質に比して最も役立つことが多い。いかにつまらぬ自体においても用いられるし、日常茶飯事においても、必要とされるからである。
知識には二つのタイプがある。一つは物事を知っていること。もう一つは、それをどこで見つけるかを知っていることである。
あらゆる人を褒(ほ)める人は、誰をも褒めないのである。
我々が賞讃や驚異の眼で見上げる、人類の成し遂げたあらゆる大工事の成果は、辛抱強さと何事にもめげぬ、たゆまぬ努力がもたらした好例である。
感謝の念は教養の結実である。粗野な人々の間には見受けられない。
ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。
いかなる者も模倣によって卓越した者はいない。
貧困は人類の幸福の大敵である。
どのように死ぬかではなく、どのように生きるかが重要なのだ。
腹のことを考えない人は、頭のことを考えない。
本は人生を楽しむことを教えるか、さもなくば人生を我慢することを教えるものでなければならない。
人生を過ごすうちに新しい知人を作らないなら、やがて独りぼっちになるだろう。人間は常に交友関係に手を入れておかなければならない。
何かを試みようとすれば、あらゆる反対、異論を克服しなければならない。
(当人の)悲しみがまだ生々しいとき、それを紛らわそうとするあらゆる試みは、単に当人をイライラさせるだけだ。
人類史が、失敗に帰した計画と、失望に終わった希望との物語以上であったことは滅多にない。
友人を冷たくあしらい、優しい言葉一つかけずに友情を死なせる者は、人生という疲れ果てた巡礼の途上におけるこの上ない慰めを、わざわざ自分の手で捨て去る愚か者である。
我々は、我々がよく知らない人たちを信じがちである。というのは、彼らは我々をけっして欺かないからである。
人は一冊の本を作るために、図書館半分をひっくり返す。
若い時は、人々の意見で善悪の判断をするのが普通である。年をとると、自分の何の物差しもないのに興味本位で振る舞い、その上、何の徳があるわけでもないのに恥ずかしさを感じない。
困難を克服し、次々に成功をおさめ、新たな夢を抱き、その夢が実現するのを見ることにまさる人生の喜びはない。
君の書いた原稿は優れているし、独創的だ。だが、優れている部分は独創的でないし、独創的な部分は優れていない。
攻撃は反動なのだ。だが、はね帰りがくるまでは、自分がひどく殴ったことに気がつかない。
人生は、次々の享楽ではなく、次々の欲望のうちに終わる。
知識のない正直者は、弱々しくて役に立たない。不正直な知識人は、危険であり恐れるべきである。
道徳心が邪魔をして他人を騙せない人は、往々にして虚栄心で自分を騙すものである。
(他人からの)賞賛は借金を背負い込むようなものだ。だが、へつらいは贈り物だ。
金(かね)のために結婚する者は悪い人間であり、恋のために結婚する者は愚かな人間である。
木を見て森を見ないのはよくあることだ。同じように、広い範囲を見るのに夢中になり、未来の利益にばかり目を奪われていると、現在手元にある機会はおろか、せっかく手に入る利益も目に入らなくなる。
自分が悲劇を書けなくとも、(他人の書いた)悲劇をののしることはできる。自分でテーブルが作れなくても、悪いテーブルを作ったといって大工を叱ることができるであろう。テーブルを作るのが、自分の仕事ではないのだから。
小さい借金は小さな弾丸だ。いたるところへ飛んでくるので避け通すことは難しい。大きな借金は大砲の弾だ。音は大きいが危険は少ない。
一度にいろいろ善いことをしようと待ち構えている人間は、決してひとつも善いことをしないだろう。
今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、およそ下らないものに見えることだろう。
誰かの真似をして、英雄、偉人になった者など一人も居ない。
人間への怖れから恥が生じ、神への怖れから良心が生じる。
永引いた生命は悲哀を永引かせる。
黄金のように貴重な瞬間の機会を大いに利用し、自分の手に届く限りの善きものを掴み取ることは、人生における偉大なる芸術行為だといえる。