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エリ・ヴィーゼル

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エリ・ヴィーゼルは、1940年、ナチス・ドイツの占領を受けたハンガリー町のユダヤ人で、現在のルーマニア、シゲトゥ・マルマツィエイに生まれた。教育を受け、ヘブライ語やトーラーやカバラを学んだ。1986年には、自身のホロコースト体験を自伝的に記し、ノーベル平和賞を受賞した。ボストン大学教授であるが、有名なのは、『愛の対義語は憎しみではなく無関心だ。人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない』という言葉である。

無関心は反応ではないのです。無関心はすべての終わりで、常に敵の味方です。
人間が苦しめられ、辱(はずかし)められている限り、いつでも、どこでも、私は決して「沈黙」しない。沈黙は、苦しめる側を増長させ、苦しめられる側には役立たない。
神様が人間をお造りになったのは、物語を愛しておられるからです。
平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。
美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。
生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。
平和の反対は戦争ではない。平和と戦争に対する無関心である。
平和は神から人間への贈り物ではなく、人間同士の贈り物であることを忘れてはいけない。
愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。
愛の反対は憎しみではない。無関心である。
なんであれ、試練を乗り越えた者は語りべにならねばならない。それが人間の義務である。
無関心が悪なのである。無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱めなのだ。
知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。無関心である。
芸術の反対は醜さではない。無関心である。
文化の反対は無知ではない。無関心である。
私たちの義務は、人生に意味を与えることだ。
あなたが死んで天国に帰った時、「どうしてお前はあれもこれも解決できなかったのだ? どうしてお前は救世主にならなかったのだ?」と、神様は詰問したりしません。その大切な瞬間に私たちに投げかけられるのは、「なぜ、あなたは自分自身にならなかったの?」という質問だけです。