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エーリヒ・フロム

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エーリヒ・フロムは、1900年、ユダヤ教正統派の両親の間に生まれ、フランクフルト大学で社会学・心理学・哲学を学び、1922年に学位を取得しました。また1926年に妻であるフリーダ・ライヒマンと結婚しています。精神分析の研究者として、マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付け、新フロイト派、フロイト左派とされています。1980年に亡くなりました。'

全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても必ず失敗する。
愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。
19世紀においては、神が死んだことが問題だったが、20世紀では、人間が死んだことが問題なのだ。
子供は「愛されること」によって、初めて「愛すること」を知る
たった一人の人だけ愛し、他のみんなのことなど気にかけないような、そんな愛は愛ではありません。それは、一緒に暮らすだけの結合か、さもなければ広い意味の自己中心主義です。
反抗者とは、憤りのために、権威を打倒しようとするひとであり、それゆえ、その打倒した権威のかわりに、今度は自分が権威になろうとするひとである。
愛の幸福な瞬間、そよ風の楽しさ、明るい朝に散歩して新鮮な空気の香りをかぐこと。こういったことが、人生の中にあるすべての苦しみや努力ほどの価値がないと、誰に言えるだろうか?
権力欲は強さでなく弱さに根ざしている。
愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。
自分を愛し、同時に他のすべての人を等しく愛するような人は、偉大で、正しい。
たいていの人は愛の問題を、「愛する」という問題、愛する能力の問題としてではなく、「愛される」という問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。
もし、私の持っているものが私を意味するなら、また、私が持っているものを失ってしまったら、私は誰なんだろう?
弱い希望しか持たない人の落ち着くところは太平楽か暴力である。強い希望を持つ人は新しい生命のあらゆる徴候を見つけて、それを大切に守り、まさに生まれようとするものの誕生を助けようと、いつでも準備をととのえている。
未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。成熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と。
ほとんどの人間は、完全に生まれる前に死んでしまう。創造性とは、死ぬ前に生まれることだ。
彼(=ナルシシスト)がつまらぬちょっとした言葉を喋るとき、自分ではさも重大なことを話しているように思っているのが、我々にはよくわかることがある。
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
人間にとっての主な仕事は、自分自身を創造することである。
幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。