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フランソワ・モーリアック

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フランソワ・モーリアックはフランスのカトリック作家です。1885年10月11日にボルドーにて生まれ、敬虔なカトリックの母に育てられました。フランス国立古文書学校に入学し処女詩集『合掌 Les mains jointes』を発表し、モーリス・バレスの賞賛を得ました。第一次世界大戦に従軍し、1922年に『癩者への接吻 La bais'ersur le pauvre』で反戦文学の立役者となりました。1926年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞後、1952年にノーベル文学賞を受賞しました。

小説家はすべての人間の中で、一番神に似ている人間である。小説家は、神の猿(=模倣者)である。
彼らには老年がどんなものかわからないのだ。人生から何も得られず、また死から何も期待できないという刑罰、あなた方には想像できまい。人生の彼方(かなた)に何もないなんて、説明もなく謎の言葉も与えられないなんて。
私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。
情欲は勝利者のない戦闘である。
子供というものは、生まれながらにしてすでにさまざまな性格や気質を負っている、恐るべき老人なのである。
死ぬまでにひとつの心の中だけでも深く入ることができたなら、それで幸福としなければなるまい。
人間は自分の恋していた時のことを思い出すと、そのあいだには何一つ起こらなかったような気がするものだ。
食卓の周りに座っている子供達が、そのまま(我々の)全人生なのである。我々は彼らと同じに、人生の最も些細な心掛かりと最も輝かしい希望とを再び見出す。
ボードレールが、彼らこそ唯ひとり真の旅人と主張する、出かけるために出かける人たち、また、そんな様子を見せる人たちは、たとえそれ以外の動機を持たないにしても、彼らは自分自身に耐えかねているという、もう一つの動機からは、常に逃れることができない。彼らは自分自身の心から逃避しようとする狩人であると同時に獲物であり、追うと同時に追われる人たちなのである。
不安を、ことによっては混乱を引き起こす作品だからといって、それだけの理由で非難してはならない。良い不安、有益な内面の反乱というものがあるのだ。
多くの女性は、教養があるというよりも、教養によって汚されている場合の方が多い。
男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、女はその一生を賭ける。
悔悟(かいご)の鍬(くわ)で耕された心には、とかくもっと悪い欲望が繁りがちである。
ばかな、味わってはならない快楽などあるものか!
君が幸福である限り、君は多くの友達を数えることができよう。だが、形勢が悪化した時には、君は独りぼっちになるだろう。