長谷川如是閑のプロフィール画像

長谷川如是閑

@01gr32s6sacsepc5b8n702kxfe

長谷川如是閑は、三代にわたる新聞記者、文明批評家、作家として東京府深川区深川扇町(現在の東京都江東区木場)で生まれ、1881年に明治小学を終了後、各地を旅し、ジャーナリストとして活動した。日本ではさまざまな朝日新聞社や雑誌に発表した作品があり、数多くの文章を書いている。また、1875年11月30日に生まれ、1969年11月11日に死去した。英語名はHasegawa Nyosenkanである。

戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。
煩悶せざる青年は、人生初期において足らざる所あり。
酒に薬用の名あり、酔を買うべき名義に窮するものは愚なり。
善きことを思えるは善きことを思えるに過ぎず、悪しき事を思えるは悪しき事を為したるなり。
生命は刹那の事実なり、死は永劫の事実なり。
食を絶ちて殺すは野蛮なり、食を滅じて殺すは文明なり。
初恋は麻疹(はしか)の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。
生きて孤独なるものは不幸なり、死して孤独なるものは実に不幸なり。
女性が英雄を好むのは、英雄に服従されようとしているのではない、英雄を服従しようとしているのだ。
男子は、一個の女性を礼賛するのにその全生命を以てするが、全体の女性を礼賛するには舌のみを以てする。
女の秘密はヴェールのようなものだ。なにかを隠すのではなく、美しく見せるためだ。
女子は月経に支配され、男子は月給に支配される。
女子の涙は勝利の涙なり。男子の涙は降伏の涙なり。
男子は結婚によって女子の賢を知り、女子は結婚によって男子の愚を知る。
囚人は前科を誇り、宗教家は懺悔を誇る。
少女の恋は詩なり。年増の恋は哲学なり。