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アンリ・ポアンカレ

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ジュール=アンリ・ポアンカレは、フランスの数学者、理論物理学者、科学哲学者である。彼は数学、数理物理学、天体力学などの分野で重要な基本原理を確立し、多大な功績を残した。位相幾何学の分野では、トポロジー概念の発見や、ポアンカレ予想などを行っている。また、フックス関数や非ユークリッド幾何学の研究に関わり、後の数学研究にも影響を与えた。さらに、ヒルベルトの形式主義に対する批判から、初期の直観主義といった立場を表明した。

直観がなかったら、幾何学者は、アイデアを持たず文法に縛られた作家のようなものだろう。
すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合のよい解決法である。どちらでも我々は反省しないで済むからである。
厳密でない証明は、たわごとにすぎない。
論理によって証明し、直観によって考え出す。
もしも数学の本質を短くひと言で定義しようと思うなら、それは無限についての科学だと言わなければなるまい。
どんなおしゃべり屋も、一生の間に10億語以上の言葉を発することはないだろう。
数学の才能は、確実な記憶力あるいは申し分ない注意力に帰せられるべきであろう。この特性は、(中略)チェスの棋士の能力に似ている。チェスでは多数の局面を見、それらをすべて記憶に留めなければならない。一流の数学者はみな、同時にチェスの名手になれるに違いないし、その逆も然りだろう。
外界の存在を忘れてしまった純粋数学者は、色や形を調和よく組み合わせる能力はあるのに、モデルを失った画家のようなものだろう。──その創作力はたちまち尽き果てることだろう。
成功の栄冠をあこがれる事はとがめるべきでない。ただ、栄冠にだけあこがれてその日を空費することこそ、とがめられるべきである。
数学は頭脳のあらゆる創造物の中でも、外からの借り物が最も少ない。
数学者は自分の取り組んでいる問題がどのようなところで役立つかというようなことを考えながら研究する必要はない、自然はいつかどこかでその問題に適合するモデルを提供してくれるだろう。
数学は、絵画や音楽から得られる楽しさに似た楽しみを、数学通の者たちに与える。(中略)この喜びを十分に感じる特権は、選ばれた少数の者にしか与えられていないが、それはすべての高度な芸術と同様である。
論理学が我々に語るのは、たとえば、これこれのやり方では障害に出会わないと確信してよい、ということであって、どういうやり方をすれば目標に行き着けるか、ということではない。そのためには、目標を遠くからよく見ることが必要であり、このことを我々に教えるのは直観である。
現実の無限大というものは存在しない。我々が無限大と名づけているのは、それまでにどれだけ作られたかに関わりなく、次々と新しいものを止めどなく作り出す可能性のことに他ならない。
数学教育の主な目的は、頭脳のある種の能力を開発することであるが、また、そうした能力の中で、直観力は決して価値の低いものではない。
真なるもののみが愛すべきものである。
我々自身、有限の存在であるので、有限の対象しか扱うことができない。
理性の活動領域は、矛盾がすべて回避されなくてはならない、という以外になんら制限されていない。しかし、理性の能力は経験から動機を提供されて、はじめて発揮される。
人が事実を用いて科学を作ろうとするのは、石を用いて家を造るようなものである。事実の集積が科学でないことは、石の集積が家でないのと同様である。