伊藤整のプロフィール画像

伊藤整

@01gr35w6dbf2cxq84s0ydrwbsr

伊藤整は明治38年1月16日に日本で生まれ、69年11月15日に日本で死亡した作家である。小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家としての活動を行い、ジェイムズ・ジョイスなどの新心理主義を提言した。私小説的文学の理論化をめざし、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などを著し、『氾濫』『変容』『発掘』という近代小説三部作を作り出した。活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、多くの評論家を魅了した。

愛の実体を追求しすぎることは、ラッキョウの皮をむくようなもので、ムキすぎると無くなってしまいます。
人生はオーケストラである。
やっといま人生が分かったと思う時、自分は溌剌(はつらつ)として草や木の生い繁る森からもう出はずれる所へ来ている。
自分は愛されている、と思っている女はいつも魅力があるものだ。
実質上の性の束縛の強制を愛という言葉で現代の男女は考えているのだ。愛してなどいるのではなく、恋し、慕い、執着し、強制し、束縛し合い、やがて飽き、逃走しているだけなのである。
教養とは、ホテルの食堂やレストランで、フルコースの洋食を間違いなくきちんと食べられることだ。
夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しいのです。
愛というのは、執着という醜いものにつけた仮の、美しい嘘の呼び名だ。
執着やねたみや憎しみのあるところには、やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るかもしれません。
善人たちも、また善人と見える人も、実は私と同じように悪の衝動を持っているのだ。
自分さえ犠牲になればよいのだ、という情緒的な考え方ほど危険なものはありません。
「真相」は分からない。それを無理に追うよりも、曖昧さの薄闇の中に、物事をおぼろなままで放置せよ。そこにあるおぼろな形が人生なのだ。
進歩というものは、我々をいそがしくしただけで、幸福にしたとは言われないのではないか。
家庭という宝物は壊れて失われる時に、はじめてその真の価値を当事者に認識させる。
女の涙は、必ずしもいま口にしている事を理由として流れているのではない。
男と女というものは、これは危険な組み合わせでな、時とすると、ものの言い方一つで夫婦別れや人死に、などという事件が起こる。