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ネルー

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国際政治で非同盟運動を提唱し、「第三世界」の中心的人物として注目された。内政では民主主義体制を堅持して政教分離を唱え、国内の経済政策では社会主義に近い政策を提唱した。

戦いにおいては、一人が千人に打ち勝つこともある。しかし自己に打ち勝つ者こそ、最も偉大な勝利者である。
ある国の平和も、他国がまた平和でなければ保障されない。この狭い相互に結合した世界では、戦争も自由も平和もすべて連携している。
恐らく人生に価値を与えるものは、その終局的な結果ではなくして、闘争の過程であろう。
人のために働いて、働いて、眠れぬ夜を何日過ごすかが大切だ。
あらゆる人の目から、あらゆる涙をぬぐい去ることが、私の最大の願望である。
人生はトランプゲームに似ている。配られた手(=カード)は決定論を意味し、どう切るかはあなたの自由意志である。
共生以外の唯一の道は、共に破滅することである。
平和とは国家間の関係ではない。平和とは魂の平穏によってもたらされる心の状況である。平和とは、戦争が無い状態ではない。平和とは心の状態である。永続する平和は、穏やかな人々のもとにだけやってくる。
人生に価値を与えるものは、その終局的結果ではなくして、闘争の過程なのであろう。
登れば登るほど、(登山の)旅は苦しさを加え、頂上は雲のかなたに隠れてしまう。しかし登山には、苦労に値する喜びや満足がある。
西洋にも東洋にも欠けていたものを補う何かが浮かび出(い)でることを我々は望む。
はるかなる山々は近づきやすく、登りやすそうに見える。高峰はさし招くが、近づくにつれて険しさが姿を現してくる。登れば登るほど旅は苦しさを加え、頂上は雲のかなたに隠れてしまう。だが登山は、骨を折るに値するものであり、独自の喜びや満足感を与える。
経済的な自由なくして自由は存在しない。飢え死にしかけている人間を自由だと呼ぶのは、すなわち、彼を軽蔑することだ。
人間は、一念を定めさえすれば、天国からの風にも、地獄からの風にも、不動の姿勢で立ち向かえるのです。そして人間は、運命そのものを左右し、転換することができるのです。
世には笑いのときもあれば涙のときもあるように、働くときもあれば遊ぶときもある。そして、今日こそ、この国にあっては、その働くときである。我々の世代は、いうならば、重労働の刑を宣告されているからである
我々はただ自己にのみ関心を持つのか、それともより大きな善、社会の、我々の、また人類の幸福に関心を持つのか?結局のところ、このより大きな善は、我々を包括するものではあるまいか。
我々が加わりたいと思っている陣営はただ一つ。それは平和の陣営である。これにはできるだけ多くの国が参加すべきだ。
愛は平和ではない。愛は戦いである。武器の代わりが誠実であるだけで、それは地上における最も激しい、厳しい、自らを捨ててかからねばならぬ戦いである。
新しい世代が、しばしば、当たり前のこととして受け取っているものは、実は、前の世代の厳しい戦いの成果であることが忘れられるものである。
破滅と災厄とにたじろがないことこそは、生命を楽しむための、ただ一つの道だということを知っていた。破滅と災厄とは、おそれることを知らぬ者を避けて通るものなのだ。
歴史を読むのは楽しみだ。だが、それよりもっと心を引き、興味があるのは、歴史を作ることに参加することだ。
勇敢であれ!すべては後からついてくる。