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梶谷真司

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ヘルマン・シュミッツは、ドイツの哲学者であり「新しい現象学」の創始者である。その主著となる『哲学体系』の5巻にわたって提示した理論は、身体的感知や文献の記述から構築した多角的なものであり、人間学から芸術論まで、その影響は非常に広範囲である。

私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって考えて決めてあげることもやめなければならない。人間は自ら考えて決めたことにしか責任はとれない。
最近の若い社員は自分で考えない、主体性がないと批判されるし、たしかにそういう面もあろう。しかし実際には、ほとんどの会社や組織で、それは歓迎されず、むしろ禁じられているのではないか。
(学校で生徒が)自ら考えていないということは、自分のやっていることを自分で決めていない、選んでいないということである。そうであれば、やったことの責任は本来とれないはずである。にもかかわらず、結果に関しては、生徒が責任を負う。(中略)成績や受験の結果は生徒自身で引き受けるしかない。
学校教育は、社会全体で起きていることの正確な反映であり、その根源でもある。
高齢者自身の生き方が重要なら、当事者である彼ら自身が何をどうしたいのか発言をし、考える自由が与えられなければならず、また彼らはその自由を行使しなければならない。
生涯学習にせよ、養護施設での生活にせよ、高齢者は、自分でどうするかについて考える余地を与えられていない。医療関係者や福祉関係者が彼らに必要なものを考えて提供する。
発言の自由がないところには、思考の自由も自発性もない。
学校は教育の場と言うより、本来は学びの場である。そして学びの主体は生徒である。生徒こそが、学びの当事者である。学びとは他の誰でもない生徒にとっての問題であるはずだ。
私たちが自由にものを言える場というのは、実はほとんどないと言っていい。学校でも会社でも、家の中ですら、言ってはいけないこと、言うべきことのルールが決まっていて、みんなそれに従って話している
(会社や組織でも)学校と同様、発言は求められるが、そこで許容されるのは、正しい答え、よい答え、上司や会社の意向に沿う答えである。そこから外れることを言えば、怒られ、笑われ、諭され、無視される。