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川端康成

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川端康成は、近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人であり、日本人初のノーベル文学賞を受賞するなど多くの名誉ある文学賞を受賞した作家です。彼は、大阪府出身で東京帝国大学国文学科を卒業しました。彼は、菊池寛の認められた文芸時評などで頭角を現し、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊しました。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目されました。

騙(だま)されないで人を愛そう、愛されようなんて思うのは、ずいぶん虫のいい話だ。
長い結婚は必ずしも出発に支配されない。
男が家庭を持ちたいってのは、思いきり阿呆になれる場所がほしいからだ。
忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ。
後に残ったものの反省や後悔は、死んだ人の重荷になりそうに思いますの。
犠牲を清らかならしめよ。自分を犠牲にした者は、自分を犠牲にしたことを忘れるのが、美しい犠牲の完成なのだ。
たとえばどんなにいいことにしろ、それを知るべき年齢よりも早くそれを知れば、それは悲劇の色しか帯びない。
自分の年とってゆくのを忘れさせてくれるのは子供しかないってことは、あらゆる生物の楽しい悲劇ですよ。
秘密はまもられていると、あまくたのしいものだが、いったんもれると、おそろしい復讐の鬼になって荒れるよ。
そう、君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女房が恐ろしくてうちへ帰れないで、夜中に外をさまよっているのは、いくらでもいるんだよ。
死は一切の罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思います。
死人にものを言いかけるなんて、なんという悲しい人間の習わしなんでしょう。
健全な愛は健全な人にしか宿らないものだよ。
いかに現世を厭離(えんり)するとも、自殺は悟りの姿ではない。いかに徳行(とっこう)高くとも、自殺者は大聖(だいしょう)の域に遠い。
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。
四十歳五十歳という風に、十を境にして生涯を区切ることは、一種の便宜であり感傷であって、半ばは人間の緩怠(かんたい)の性癖に過ぎないだろう。
一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。
一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思わせるものです。
誰にもかれにも、同じ時間が流れていると思うのはまちがいだ。
死んだ時に人を悲しませないのが、人間最高の美徳さ。
画竜点睛(がりょうてんせい)といってね、結婚も確かに点睛の一つだよ。夫を持ったり、子供を持ったりする度(たび)に、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。
一輪の花美しくあらば、われもまた生きてあらん。
結婚の相手を選ぶといったって、つきつめて考えれば、結局のところ、おみくじを引くような、銀貨の表か裏かを判じるくらいのものだ。
どんな花かて、見る時と場所とで、胸にしみることがあるもんや。
この世でもっとも深い愛を、感謝するにも及ばないほど当然だと、子供に思わせるためにのみ、母というものは子に必要である。
人間はみなに愛されているうちに消えるのが一番よいと思います。
人間は生よりもかえって死について知っているような気がするから、生きていられるのである。
信念のないロマンチストは皆ファンティジストに過ぎず、信念のないリアリストは皆センチメンタリストに過ぎぬ。
死んだ者の罪を問わないのは、今は生きていてやがて死ぬ者の、深い真理かもしれませんよ。
大病をして死を身近に感じると、深くたしなめられた気持ちがして、それまで重大に思えたことが、そうではなかったと悟るようになるものだ。
夫婦というものは、どこか親子だよ。時には亭主が父親のつもりになったり、時には細君が母親のつもりになったり。それでないと上手くゆかない。
僕は生きている方(ほう)に味方するね。きっと人生だって、生きている方に味方するよ。
親の生涯の成功か失敗かは、子供の結婚の成功か失敗かにもよるらしい。
日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね。
なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。
二人の結婚は美しかった。なぜなら彼女は離婚する力を持っていたから。二人の離婚もまた美しかった。なぜなら彼女は友達となれる心を持っていたから。