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モンテスキュー

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シャルル=ルイ・ド・モンテスキューは、フランスの哲学者であり、ラ・ブレード(フランス語版)とモンテスキュー (Montesquieu) を領地とする男爵 (baron) でもあった。フランス南西部にあるボルドー近郊で生まれ、7歳の時、母が逝去。母の遺産を継承し、伯父の死により、モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職を継承した。ボルドー大学法学部を卒業。1709年からパリに遊学し1713年末、父の訃報により帰郷し、25歳でボルドー高等法院の参事官となった。

人間は平等のもとに生まれるが、そこにとどまることはできないだろう。
立法者は何よりもまず中庸を得た精神の持ち主でなければならず、政治および道徳における正義は、常に両極端の間に位置するものである。
私には著書を作る病癖があり、しかも著書を作った後にはこれを恥じる病癖がある。
離婚は進んだ文明にとって必要である。
自分で実行できることは、決して他人の手を煩わすな。
世の中で成功を収めるには、馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである。
宗教を愛し、それを守っていくには、それを守らぬ者を憎んだり、迫害したりする必要はない。
友情とは、誰かに小さな親切をしてやり、お返しに大きな親切を期待する契約である。
孤独は、優れた精神の持ち主の運命である。
多くの場合、成功は成功するまでの所要時間を知っているか否かにかかっている。
真に知的な人は、他の人が知識として有しているだけのことを、身体で感得している。
真の平等主義と過激な平等主義との間には、天地の差がある。前者は決して、誰も彼もが命令を発するのだとか、誰一人命令を受ける者はないのだとかいうことではなく、同輩の言うことに耳を傾け、同輩に命令する、ということなのである。
すべての夫は醜い。
国民精神を根本からくつがえすことは、法的な指令を変えることと同様に、いやそれ以上に、危険なことである。
我々が幸福になりたいと望むだけなら簡単だ。しかし、人は他人になりたがるので、そうなるには困難だ。我々は他人はみんな実際以上に幸福だと思っているからだ。
少しをするために多く学んでおかねばならぬ。
人間は考えることが少なければ少ないほど、よけいに喋る。
自由とは、法が認めるすべてのことを行う権利である。
才能とは、神から密(ひそ)かに与えられ、しかも、我々がそれとは知らずに明るみに出す授かり物である。
恋愛は仕事のない人々の仕事である。
この世で成功するには、馬鹿のように見えてその実(じつ)利口でなければならない。
私たちは三つの教育を受ける。一つは両親から。もう一つは教師から。残りの一つは社会から教えられる。そして、この三番目は、初めの二つの教えに全て矛盾するものである。
世の中で成功するには、馬鹿のように現れて、利口に活動することである。
雄弁家はその深遠さにおいて足りないところを話の長さで補う。
異常な事態だ。哲学がこの三語「Je m’en fous.」(どうだっていいじゃないか)の中に収まってしまうとは。
制度を作るのは共和国の統領だが、のちには、その制度が共和国の統領をつくる。
神は似非(えせ)信心家を作り、王侯は偽善者を作る。