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坂口安吾

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坂口安吾は近現代日本文学を代表する作家であり、戦前から戦後にかけて活躍した文学家として有名です。『風博士』、『堕落論』、『白痴』などの小説を発表し、無頼派・新戯作派を代表する一人として知られています。また、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記など、多彩な活動を行いました。

堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。
魅力のない女は、これはもう決定的に悪妻なのである。
夫婦は苦しめ合い、苦しめ合うのが当然だ。慰めいたわるよりも、むしろ苦しめ合うのがよい。人間関係は苦痛をもたらす方が当然なのだから。
人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。
悲しみ、苦しみは人生の花だ。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人生の疲労は年齢には関係ない。
私は、勤倹精神だの困苦欠乏に耐える精神などというものが嫌いである。
恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
すべて人間の世界においては、ものは在るのではなくつくるものだ。
青春ほど死の翳(かげ)を負い、死と背中合せな時期はない。
一生涯めくら滅法(めっぽう)に走り続けて、行きつくゴールというものがなく、どこかしらでバッタリ倒れて、それがようやく終わりである。
私は悪人です、と言うのは、私は善人です、と言うことよりもずるい。
夫婦は愛し合うと共に憎しみ合うのが当然である。かかる憎しみを恐れてはならぬ。正しく憎み合うがよく、鋭く対立するがよい。
運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
人間の、また人生の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、いやな物はいやだと言う、要はそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだと言う。
非常に当然な話だけれども、信念というようなものがなくて生きているのは、あんまり意味のないことである。
人間の心は苦難に対して鋼鉄の如(ごと)くでは有り得ない。人間は可憐であり、脆弱であり、それ故(ゆえ)愚かなものであるが、堕(お)ちぬくためには弱すぎる。
人間は生きることが全部である。死ねばなくなる。
すぐれた魂ほど大きく悩む。
(恋愛とは)所詮幻影であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。
歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。
人はなんでも平和を愛せばいいと思うなら大間違い、平和、平静、平安、私は然(しか)し、そんなものは好きではない。不安、苦しみ、悲しみ、そういうものの方が私は好きだ。
人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足はだれでも好むよ。けだものでもね。
男女の関係に平和はない。人間関係には平和は少ない。平和をもとめるなら孤独をもとめるに限る。
芸術は「通俗」であってはならぬが、しかほど「俗悪」であっても良い。人間自体が俗悪なものだから
恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外(ほか)に花はない。
孤独は、人のふるさとだ。