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種田山頭火

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種田山頭火は、山口県防府市で生まれた俳句の俳人で、自由律俳句の代表的な人物である。1882年12月3日、明治15年に誕生し、1940年10月11日昭和15年に没するまでに、曹洞宗報恩寺で出家得度した耕畝(こうほ)と改名しながら1万2000余りの句を詠んだ。種田の母の投身自殺などの個人的な格言も独自の独特さを持ち、熊本で酒癖により苦しむこともありました。

新は必ずしも真ではあるまい。しかし真には常に新がある。
春夏秋冬あしたもよろしゆふべもよろし
このみちやいくたりゆきしわれはけふゆく
死にたくないから生きたときもあった。死なないから生きたときもあった。生きたいから生きたときもあった。しかし、生きずにはおれないから生きるときがあってもよいのではないか。
おこるな しゃべるな むさぼるな ゆっくりあるけ しっかりあるけ
この旅 果(はて)もない旅のつくつくぼうし
どうしようもないわたしが歩いている
人生は奇跡ではない、軌跡である。
あるがまま雑草として芽をふく
夜明けの明星のひかり、一番電車のひびき、人の足音、水汲む音、―― 朝の天地は尊くも美しい。心おだやかにして体ゆたかなり。
濁れる水の流れつつ澄む
「あきらめ」ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽くして後に初めて許される「魂のおちつき」である。
まっすぐな道でさみしい
分け入つても分け入つても青い山
無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる、この心構えさえ失わなければ、人は人として十分に生きてゆける。
窓あけて窓いっぱいの春