徳川家康のプロフィール画像

徳川家康

@01gr39af6sca9pwh7brdpvscjw

徳川家康は戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名であり、江戸幕府初代征夷大将軍である。安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖である。織田信長との織徳同盟を基軸に勢力を拡大し、関ヶ原の戦いに勝利し、1615年に大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、全国支配を磐石なものにしたという、史上最も著名な武将の一人である。

心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。
自分に直言(ちょくげん)する人物を大切にせよ。
明君良将というは、人のなすところの善き事を取り用いて国を治めり
家臣を扱うには禄(=給料)で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。
われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。
世の中に平和が訪れると、公家(くげ)は武家の真似をし、武家は公家的になる。これは、いわばその家が滅びることだと思うがよい。
人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。
人間は豊かになり過ぎると、結束力が弱まり、我説を押し通そうとする。
大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。
天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。国も又、一国の人の国にして、一人の国にはあらず。
多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。
総じて武辺(ぶへん)の心がけ深く、志操あるものは、上役に追従せぬものだ。お世辞や巧言の類(たぐい)は、信念に欠ける愚か者の処世術たるにすぎない。
人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。
得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。
家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。
戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。
敵だというのも自制心を忘れた怒りである。
凡(およ)そ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。
不自由を常と思えば不足なし。
大将の真価は負け戦のときに現れる。
堪忍は無事長久の基(もとい)。怒りは敵と思え。
何の苦労もしないで手に入れた宝は、かえって失敗や破滅につながる。
及ばざるは過ぎたるより勝れり。
困ったことに、人間の社会では筋金入りの信念を持つ者ほど、周辺の人々から非難、攻撃の的にされてしまう。
大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
己を責めても人を責めるな。
国家の治乱は、一日に治まり、一日にして乱れる。
そこを飲まぬが男なり
すべての事にいえるが、用心の方法がないなどと云う事はない。用心の方法は、よく考えれば必ずあるものである。
いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。
われ未だ志を得ざるとき、二文字を守れり。忍耐これなり。
気先(きさき)の勇なる者は目驚かすほどの働きをすると雖(いえど)も詰めたる武功は律儀(りちぎ)なる者にあり。
一軍の将たる者は、味方諸人(しょにん)のぼんのくぼばかり見て居て合戦に勝てる者にてはなし。
怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。
重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。
真(まこと)らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず
われ独り出頭して、一人して事を埒(らち)明けたがるように致す、これ大なる病なり。
決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。
平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。
どうせこの世に生まれたからには、これぞと思われる一角(ひとかど)の人物になれ。一角の人物になるように努力せよ。
人は負けることを知りて、人より勝れり。
戦いというものは潮どきがある。このあたりで一度敵の出鼻を叩いて見せぬと、士民(しみん)も心細かろうし、敵も図に乗ろう。
道理に於(おい)て勝たせたいと思う方に勝たすがよし。
いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。
父子の関係は、心のへだて、つまり断絶のないのが最高である。