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タゴール

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ラビンドラナート・タゴールは、インドの詩人、思想家、作曲家であり、詩聖として高い尊敬を集めるインド出身の人物である。ノーベル文学賞を受賞し、インド国歌及びバングラデシュの国歌を作詞作曲した。また、タゴール国際大学を創設した。

政治家たちは、ただ目の前だけが薄暗く見える洞穴の中に住んでいる。
花はその花弁のすべてを失って果実を見いだす。
人が動物に変わるとき、人は動物以下のものとなる。
物を与えることだけを慈善と心得ているのは、手に汗することを知らない人々だけである。
魂の永遠の自由は愛の中に、偉大なものは小さなものの中に、無限は形態の絆の中に見出される。
精神的な向上こそ最大の宝。
死は生を最後に完成させるもの。
絶えず力を新たにして新しい道を求める事、これこそが、いつの世にも進歩の秘訣だ。
間違いを犯すのを怖れて、戸を閉ざせば、真実も締め出されてしまう。
教師はみずからがなお学んでいないかぎり、決して本当に教えることはできない。ランプはみずからの焔(ほのお)を燃やしつづけないかぎり、他を照らすことはできない。
国は人間が創造したものです。国は土からできているのではなく、人々の心で出来ています。もし人間が輝いていれば、国は顕現(けんげん)されます。
耕す人が固い地面を耕している所、道を作る人が石を碑にしている所、そこに神はまします。
「人びと」は残酷だが、「ひと」は優しい。
成功のなかにのみ、あなた(=神)の慈愛を感じるような卑怯者ではなく、自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、そんな人間になれますように。
哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富、この三つが国家崩壊の要因なり。
太陽の輝きは、人間の勇気の中で輝く―─陽(ひ)の光はこの世のすべての闇を追い払う。
立って水面を見つめるだけでは、海を渡ることはできない。
信仰とは、夜明け前の闇の中で光を感じている鳥のようなもの。
「われ存す」ということが不断の驚きであるが、つまり、それが人生である。
人生航路は大きな川の流れによく似ている。その急激な流れの力によって、今まで流れたことのない、新しく、予想もしなかった水路が開かれてゆく。
不可能の住所は、無気力者の夢の中だ。
人間は孤立すると、自己を見失う。すなわち人間は、広い人間関係の中に、自らのより大きく、より真実な自己を見出すのである。
君の呼びかけに誰も答えないならば、君よ、我が道を一人征(ゆ)け。皆が恐れを抱いて沈黙するならば、君よ、開いた心と恐れなき声をもって、ただ真実のみを語れ。
人類の歴史は、虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている。
政治的自由も、我々の心が自由でない場合には、我々に自由を与えない。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
危険から守られることを祈るのではなく、恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
今、私を圧迫しているものは、外に出たがっている私の魂なのだろうか?それとも大いなる魂が、中に入りたがって、私の心をノックしているのだろうか?
悪は河における岸のごときものである。岸は流れを堰(せ)くが、それは流れを推し進めるよすがとなる。この世の悪は、人間が水の流れるごとく善にむかわしめるために存在する。
人間は、空間と時間との領域の中に住むほかに、もうひとつ別の住居を持つ。自分の内面の王国の中に。
人生という戦場における盟友を求めるのではなく、ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。
暗い嵐の夜にだれも松明(たいまつ)に火をつける者がなく、扉をたたく君にだれ一人として応じる者がいなくとも、君よ、失望してはならない。雷(いかずち)が激しくとどろくなかで、我が心の松明に火をつけ、一人、暗闇(くらやみ)のなかで火を燃やせ。
善をなさんとするものは門を叩き、愛する者は門が開放されているのを見出す。
我々の力がどんなに小さくとも、また、我々が世界のどの一隅に属していようと、我々個人は全人類を理解する意識の力を増大させるよう自分自身に要求する。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
戦う精神こそ、人生の達人のものである。
山々は、登ったことのない者にとっては地球の絶望の姿だと映ずることだろう。
称讃されると恥ずかしくなる、私が内心では、それを期待しているから。
人間とは、一個の切り離された存在ではなく、宇宙の一部だというのは、疑う余地のない真理であり、これを認識するこき、人は偉大になる。
人間が自分の人生から学び取ることのできる最も重要な教訓は、この世には苦しみがあるということではなく、苦しみを活用するかどうかはわれわれ次第であり、苦しみは喜びに変わるということである。
古い種子は生命の芽を内部に持っている。それはただ、新しい時代の土壌に蒔かれる必要があるのだ。
人生は、人間が作った運河のように決まりきった水路だけを流れるものではない。
愛は理解の別名なり。
(人生の)変化に富んだ流れや、計画もしていなかった変化は、神様が私たちの人生に計画なさったものなのだ。