イソップのプロフィール画像

イソップ

@01gr310y2y0cx8ag57fv5xxhhj

アイソーポスが作ったとされる『イソップ寓話』は、動物、金物、自然現象、様々な人々を主人公にした寓話集である。だが、アイソーポスの歴史的な存在を確認するものはなく、古代のメソポタミアや西洋の寓話、民話も収録されている。また日本においては、1593年(文禄2年)に『エソポのハブラス』として紹介され、江戸時代初期から『伊曾保物語』として出版された。単なる娯楽ではなく、キリスト教の価値観を持った教訓を含んだ内容が読み物として普及した。

不幸な人々は、さらに不幸な人々によって慰められる。
自分の運命を甘受せよ。あらゆる面で一位に立つことはできない。
何の危険もないことをわかった上で、勇敢であることはたやすいことだ。
背中の袋は自分の欠点を入れるため。(体の)前面の袋は他人の欠点を入れるため。
少しずつ、少しずつ。それが本当のトリック。
親切な行為は、どんなに小さいものでも、無駄になることはない。
ぶどうの棚に手が届かないと、狐は「あれはまだ熟していない」と言う。
影のことで争っている時は、影の持ち主のことはたいてい忘れているものだ。
お母さん、教えていらっしゃるあなたがまっすぐ歩いてください。そうしたらあなたを見てそうなりたいと思うでしょう。
危険が遠くにある時は、勇敢になるのは簡単である。
人は己自身が享楽し得ないことを他人に与えることはしない。
危機的状況では、どんなに強いものでも弱者を必要とする。
人はしばしば贋物(にせもの)の方を賞賛し、本物をあざける。
生まれつきの長所も、いいかげんにしていると、努力したほうが勝(まさ)ることがある。
自惚れは必ず自滅を招く。
影をつかんで、実体を見失う。
美しい鳥は、必ずしも美しい羽毛からではない。
跳ぶ前に、心して見よ。
君のひよこを孵(かえ)らないうちから数えてはならぬ。
学校での成績がよいからといって、社会で認められるとは限らない
法の力を借りず、己自身の手にて制裁を与えよ。
なぜあの時、おれをぶって、しかってくれなかったか。
つまらない喧嘩が高じると、取り返しのつかない事態が生じるから、早く和解せよ。
苦境にある奴のアドバイスは信じるな。
自然は我々すべてに同じ能力を与えなかった。我々の一部には、できないことがあるのだ。
自らを楽しむことのできない人々は、しばしば他人を恨む。
樫の木と葦が自分たちの力について言い争っていた。その時、強い風が吹いた。葦は突風に体を曲げ、身を任せることで倒れるのを防いだ。しかし樫は踏ん張って立っていたために、根こそぎにされてしまった。
人はしばしば模倣を称賛し、真の事実を軽んず。
皆を喜ばそうとしてごらんなさい。誰も喜ばせることはできないでしょう。
自分自身の不幸によってよりは、他人の不幸によって学ぶ方がずっといい。
人に傷つけられことは許してよい。だが、忘れてはならない。
真の友情は、災難に遭遇した時に、はじめてわかる。
トボトボ歩きが競争に勝つ
災難によって、人は学ぶ。
見るまでは、耳にすることを恐れるな。
浅はかな知恵での企みは、ひどい結果に終わる。
我々は心に気を配るべきで、外見に気を配るべきではない。
難事に際しては、他人の忠告など、信じてはならない。
必死に求めて得られなかったものが、努力しないで手にはいることがある。
大きな池のそばに、子どもたちが遊びに来て、石を拾い、池に投げはじめました。楽しい遊びでした。子どもたちは明るい笑い声を立てながら、いくつもいくつも石を池に投げました。その池の中に蛙がたくさん住んでいました。一人の子どもが投げた石が蛙に当たり、死んでしまいました。でも、子どもたちは何も知らずに、次から次へと笑いながら石を投げ、何匹もの蛙の生命が亡くなっていきました。
良い批判は無分別な親切に勝る。
感謝は、高潔な魂の証である。
びくびくしながら上等なものを食べるよりも、質素なものでも誰にも気がねせず食べて暮らしたほうがいい。
嘘つきは真実を語ったとしても、信じてもらえない。