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アルフィ・コーン

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Eric Donald Hirsch Jr.は、人文学の詩学や解釈学を研究したアメリカの教育学者であり、『文化リテラシー』などの著作で有名である。1960年に『ワーズワースとシェリング』を加筆したことから著名な学者としてのキャリアをスタートさせ、1967年の『解釈における妥当性』や1976年の『解釈の目的』などの専門的な著作がある。

褒美をご破算にするということの脅しは、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っている。
アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供している。
動機づけの「3C」──仕事における協力(collaboration)、仕事の内容(content)、仕事に関する選択(choice)の幅。
従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合には、ほぼ最悪の戦略である。
大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。第一に、褒め言葉を言うのには考える必要がないからである。褒めることは安上がりで簡単なのだ。
だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。
「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。
子供たちは内発的な学習意欲を持っている。褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。
仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。
一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。
ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。(中略)しかしコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。
(仕事の)課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分の能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、給与がいくらかということに目が行きやすいということである。
技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。
自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。