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チェスタートン

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ギルバート・キース・チェスタトンはイギリスの作家、批評家、詩人、随筆家である。ロンドン・ケンジントン生まれ、セント・ポール校、スレード美術学校に学ぶ。推理作家としても有名で、カトリック教会に属するブラウン神父が遭遇した事件を解明するシリーズが探偵小説の古典として知られている。文学を志すようになり、ロンドンでは文壇付き合い、パブに入り浸る生活を続け、『戯れる白髪』、『野生の騎士』の2冊の詩集で文壇にデビューした。

意思の行為はことごとく自己限定の行為である。ある行動を望むとは、すなわちある限定を望むことなのだ。(中略)何物かを選ぶことは、他の一切を捨てることである。
思想をとどめる思想がある。これこそ防止せねばならない唯一の思想である。
誰だってよこしまな人間になり得る。自分の好きなだけよこしまになり得るのだ。
他人というものは、こちらの言ったことに答えようとしない。人は、こちらの言ったことの意味に対して、もしくは、相手はこういうつもりなんだろうと考えたその意味に対して答える。
孤立した傲慢な思考は白痴に終わる。
人を正気たらしめてきたのは、何あろう神秘主義である。神秘主義の功績、それは即(すなわ)ち人は理解し得ないものの力を借りることで、初めてあらゆるものを理解することができるということである。
壁がつくられた訳を知るまで、壊してしまうべきではない。
生真面目ということは、実は、自分のことをことさら重大視するという、人間の陥りがちな悪癖に落ちこむことでしかない。というのも、それは何より容易なことだからである。
素晴らしい冗談は、批評不可能な、究極な、神聖なものである。
私は逆さまに綴られない限り、いつも犬(dog)が好きだ。
世の中は、君の理解する以上に栄光に満ちている。
狂人とは理性を失った人間のことではない、理性以外のあらゆるものを失った人間のことである。
沈黙は、堪えられない当意即妙の応答である。
民主主義は教育のないものによる統治を意味するが、他方、貴族政治は悪い教育による統治を意味する。
人間は冒険を試みうるほどに自己を信じなければならないし、冒険を楽しみうるほどに自己を疑わねばならない。
天使は自分を軽く考えているから飛べる。
「本を読みたい」という熱心な人間と、「読む本が欲しい」という退屈した人間との間には、大変な違いがある。
不平は世界の果てにこだまして我が身に戻ってくるばかり。それに対して、沈黙はあたしをしっかりさせてくれるわ。
人は、谷からは多くを得るが、頂からはほとんど何も得ないものだ。
解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ。
自殺は単に一つの罪であるばかりではない。自殺はまさに罪の中の罪である。究極の悪、絶対の悪であって、生命の存在そのものに関心を持とうとせぬ態度にほかならぬ。
それは失われるかもしれないのだ、と考えてみれば、どんなものでも愛することができる。
人間は野生動物を奔放だと言うが、真の奔放な動物は人間しかいない。人間のみが束縛を破って抜け出したものだ。他の動物はすべておとなしい生物で、種族の厳格な掟に従っているにすぎない。
私は人生を外部から観察する人々の最も明快な論調よりも、人生を内部から観察する人々の空想、否、偏見をすら愛する。
徹底的に現世的な人々には、現世そのものを理解することさえできぬものだ。
人間はそれぞれの道徳的意志を左右することは出来るが、何かをやるときの本能的な思考やら方法やらは、まず変えることが出来ない。
ジャーナリズムはポピュラーだが、フィクションとしてポピュラーなだけだ。新聞で見る人生と実生活は別のものだ。
自らの五感を信じることのできぬ人間は、五感以外の何物も信じることのできぬ人間同様狂人である。
良い小説は主人公についての真実を語るが、悪い小説は作者についての真実を語る。
他人を殺す者は一人の人間を殺す。自己を殺す者はすべての人間を殺す。彼に関する限り、彼は世界を抹殺する者だ。
勇気とは、死に急ぐ形を取りながら生きようとする強い欲望。
思想を破壊する思想がある。もし破壊されねばならぬ思想があるとすれば、まずこの思想こそ破壊されねばならぬ思想だ。
諸君は民主主義体制を樹立するために革命をしてはならない。諸君は革命をするために民主主義を身につけねばならない。
「考える機械」などと言う言葉は、近代的な運命論や唯物論の愚にも付かないたわごとである。機械は考えることが出来ぬからこそ機械なのだ。
悪は病のように気づかれぬうちにやってくる。善は医者のように急いでやって来る。
信仰を有する者は、殉教者たるのみならず、道化となる覚悟がなければならない。
どんな行動をしようとも、逃れられない運命があるなんて、私は信じないが、行動をしなければ、逃れられない運命があることを、私は信じざるをえない。
真の満足は、いかなる状況からも、その中のあらゆる価値を取り出せることにある。
人はたいてい議論する能力がないから喧嘩するのである。
人々はローマが偉大であるからローマを愛したのではない。ローマは人々がローマを愛したから偉大となったのだ。
解決の道は今はまったくはっきりしている。光か闇か、そのどちらかの側を誰もが選ばねばならぬ。
その金全部を得ようとするほど利口になるためには、それを欲しがるくらいまでに阿呆でなければならない。
詩人は狂わない。狂うのはいつもチェスの名人だ、数学者だ、それに出納(すいとう)係だ。何故なら、想像は狂気を生みはしない。狂気を生むのは実は理性なのである。
唯物論者には、完璧に磨き上げられた機械のごとき彼らの宇宙に、ほんのひとかけらの精神性も奇跡も受け入れる自由がない。