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フランソワ・フェヌロン

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フランソワ・ド・サリニャック・ド・ラ・モート=フェヌロンは、フランスの神学者・作家である。1651年8月6日、サン・モンダン(Sainte-Mondane, ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏)のフェヌロン城に生まれる。祖先の何人かはサルラ(Sarlat)の司教を勤めたという。兄弟が多かったので早くから聖職者となるよう期待され、幼い時から家庭教師からギリシア語と古典を学んだ。16歳の時、カオール大学へ送られ、哲学と修辞学を学んだ。聖職者ジャン・ジャック・オリエールやヴァンサン・ド・ポールの友人であった叔父アントワーヌの紹介で、コレージュ・デュプレシスで神学を学ぶかたわら、ソルボンヌにも通い、最終的にパリの大司祭に任命された。

危険を予見し、それに身を投ずるに先立って、それを怖れることが必要である。その中に陥(おちい)れば最後、危険を軽蔑するよりほかに方法はない。
人間にとっての究極の自由は、奴隷になっても自由な気分でいられることである。
大部分の女は多くの言葉を費やして、ごくわずかしか語らない。
自分の職業を自慢する人間ほど惨めなものはない。
諸君が多弁を弄(ろう)すれば弄するほど、人々は諸君の言ったことを記憶しないだろう。
神は寒さに応じて服を与える。
自由な人とは、奴隷根性を持たない人のことである。
青春とは、狂気と燃ゆる熱の時代である。
私は自己の家族より母国を愛する。私は母国より人間の本性を愛する。