井上靖
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井上靖は日本の作家で、芥川賞を受賞し、戦後期を代表する作家として評価された。恋愛・社会小説を中心に書き、劣等感から来る孤独と人間の無常を描いている。
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人生がたった一年しか残されていないんなら、おれは本当に妥協なく生きてみたい。本当に会いたい人に会いたい。本当に話したい人と話したい。本当にやりたいことをやりたい。本当に行きたいと思うところへ行きたい。本当に見たいと思うものを見たい。一体、自分はこれまで何をしていただろう。
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仁という字は人偏に二と書く。夫と妻、兄弟、姉妹、隣人と自分、患者と医者、全部、二人の関係です。人間二人の間に成立する道徳、約束事は、けっきょくのところ相手の立場に立ってものを考えるということ。つまり思いやりです。
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克己(こっき)という言葉を知っているか。克己とは自分に克(か)つことだ。非常に難しいが、人間が他の動物と違うところは、誘惑や欲望と闘って自分に打ち克つことができるという点だ。勉強するも克己、仕事をするのも克己、みな克己だ。
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「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。 でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろって言うのよ」「僕だけかな」「何が?」「あすなろなのは!」「だって貴方はあすなろでさえもないじゃありませんか。 あすなろは、一生懸命に明日は檜になろうと思っているでしょう。 貴方は何にもなろうとも思っていらっしゃらない」
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愛が信じられないなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられなかったら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは、恐らく、そうしたこととは別ですよ。
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人間の幸せというものは、しみじみと、心の底から、ああ、いま、自分は生きているということを感じることだな。そうすれば、自分のまわりのものが、草でも、木でも、風でも、陽の光でも、みんな違ったものに見えて来る。
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「養之如春」(これを養う春の如し)──何事であれ、もの事を為すには、春の陽光が植物を育てるように為すべきだという意味である。“これを養う”の“これ”には何を当てはめてもいい。子供を育てることも、愛情を育てることも、仕事を完成することも、病気を癒すことも、みな確かに、あせらず、時間をかけてゆっくりと、春の光が植物を育てる、その育て方に学ぶべきなのである。