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ジャン・パウル

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ジャン・パウルは1763年3月21日、ドイツのフランケンに生まれた。父親は学校教師兼教会のオルガン奏者でしたが、1779年にすでに死去していたため、一家は極貧状態となってしまいました。ジャン・パウルはそうした貧しい家庭の中で育ちましたが、1784年には精神医学論文を発表し、1786年には『陽気なヴッツ先生』を発表し、これを皮切りに『ヘスペルス』『ジーベンケース』『巨人』『生意気ざかり』『彗星』など作品を山積みするようになりました。彼の作品は該博な知識に基づく機知とユーモアていっぱいで、古典主義やロマン主義とは全く違う独自の文学世界を構築しました。

臆病者は危険を目前にして恐れ、卑怯者は危険の最中(さなか)に恐れ、勇敢な者は危険が去ったあとで恐れる。
大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。
感情には全て、自分だけが体験する感情だと思わせる独特な面がある
逆境は人間を浄化するのに、どうして国民を浄化しないのか。
快活にして愉快な気持ちを保つのは、活動だけである。
芸術は人間のパンではなくても、少なくともブドウ酒である。
人生は一冊の書物に似ている。愚かな人間はパラパラとそれをめくっていくが、賢い人間は丹念にそれを読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているからだ。
女の高齢は男のそれよりも陰気かつ孤独である。
我々が追い出されずに済む唯一の楽園は「思い出」である。
老人の上機嫌ほど美しいものはない。
この世で犯された最初の罪は偽善である。
自分の性格をよく知るためには、他人の性格を、語ることが一番だ。
自分の青春を、老年になって初めて経験するような人々がいる。
踊ることが沈黙の音楽であるように、音楽は目に見えない踊りだ。
特別な状況を待って事をなそうとするな。普通の状況で試みよ。
友人を信用しないのは、友人に欺かれるよりもはるかに恥ずべきことである。
経験は良い薬であるが、病気が治ったあとでしか手に入らない。
この世で最も英雄的な行為は、四つの壁の中で、家族のプライバシーの中で行われる。
身の上に起こる幸不幸は、その大きさによってではなく、感受性に応じて我々の心を動かす。
地上の生活においては、一年々々はまさに短いものである。年齢などはもっと短いし、人の一生ときたら、この上なく短い。しかし、その日その日は長いものである。刻一刻はもっと長いものだし、瞬間というものは往々にして、永遠に等しい。
音楽は陰鬱な人生の夜に刺す月の光だ。
称讃された時ではなく、叱責された時に謙虚さを失わない者こそ真に謙譲な人間である。
恋は女性のデリカシーを失わしめ、男のデリカシーを高める。
最も激しい憎悪は、最高の美徳や最も危険な犬のように、この上もなく静かである。
友達は誰しも、他の人の太陽であるとともに、ヒマワリである。引っぱりもすれば従いもする。
貧乏と希望は母と娘である。娘と楽しく語らっていれば、母のほうを忘れる。
常に謙虚であるならば、ほめられたときも、けなされたときにも間違いをしない。
父親が子供に語ることは、世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる。
気高い誇りには、謙遜よりも才能を発揮させるものがある。
音楽は空気の詩である。
人は子供をおとなしくなるようにと、小学校へやる。そして、うるさくなるようにと、大学へやる。
悲しみは雷雲に似ている。遠方から見ればそれは真っ黒であり、頭上にくればほとんど灰色である。