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マルセル・プルースト

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ヴァランタン・ルイ・ジョルジュ・ウジェーヌ・マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust)は、フランスの小説家である。30代後半から51歳の死の直前の期間中、長篇小説『失われた時を求めて』を書き続けました。その他にもその病弱な幼少期を通じて文学に親しんだり、華やかな社交生活を送ったりと、法律と哲学を学んだパリ大学出身であることを踏まえると多彩な才能を持っていたことがわかります。パリで俳優である父親と富裕なユダヤ人の母親の息子として生まれたマルセル・プルーストは、後世の作家に強い影響を与えています。'

愛が永遠でないという理由は、多分、記憶がいつも真実であると限らず、人生は細胞の絶えざる更新によって出来ているからであろう。
安定は愛を殺し、不安は愛をかき立てる。
同じ比喩もそれを出発点とすれば誤りとなるし、それを到着点とすれば本当ともなる。
人は、泳げるようになりたいと願いながら、同時に片足を地面につけているものだ。
我々の苦悩は、とことんまで経験することによってのみ癒される。
真の楽園とは失われた楽園である。
病人というものは、正常な人よりも己れの魂により近く迫るものだ。
世界は一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家が出現したのと同じ回数だけ度々作り直されたのである。
我々の忘却してしまったものこそ、ある存在をいちばん正しく我々に想起させるものである。
過去が目の前に投げかけている影を、我々は未来と呼ぶ。
本当の発見とは、新たな土地を見つけることではなく、新たな目で見ることなのだ。
恋わずらいの人は、ある種の病人のように自分自身が医者になる。苦悩の原因をなした相手から癒してもらえることはないのだから、結局は、その苦悩の中に薬を見出すのである。
幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみである。
我々の苦労は、十分に経験することによってのみ癒される。
ある習慣の規則正しさは、その習慣のばかばかしさに比例する。
愛するということは不運である。お伽話の中の人々のように、魔法が解けるまでそれに対してどうすることもできないのだ。
戦争を続けようとする者にもまた、戦争を始めた者と同様の罪があるのです。あるいはそれ以上の罪があるかもしれません、何故なら、真っ先に始めた方は恐らく戦争の惨禍をことごとく予想していたわけではありませんからね。
人は苦悩を征服することによってのみ苦悩を忘れる。
発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。
よく病気をして長い日時を「方舟(はこぶね)」にこもって過ごすようになってから、ノアは何にもまさって世の中をよく観察できたに相違ないことがわかった。
英知は受け売りでは身に付くものではない。自分自身で発見するものである。
苦しんでこそ、美しさを知る。
苦しみは、徹底的に経験することによってのみ癒される。
上手に別れられるなどということは、まったく稀(まれ)なことである。そういうのがちゃんとうまくいくなら、別れたりはしない。
人が知っていることを知っていても、その人の知識にはならない。
男が女に処女性を求めるのもまた、愛情が純潔に捧げる永遠の賛辞の一形式である。