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中村天風

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中村 天風は日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。学生時代に喧嘩で相手を刺殺し、明治9年(1876年)に大蔵省紙幣寮抄紙局(現・国立印刷局)の初代局長となった中村祐興の息子である。日清日露戦争当時は軍事探偵として活動し、戦後は結核にかかり渡米する。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始し、実業界でも成功を収めた。現在は、彼の教えを学んだ著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家がいる。

われわれは「自己の哲学」を求め、人の世のために何事かを創造せんと欲する意欲に燃えて歩き続けることだ。
欲張りは金にとらわれてるし、恋に狂ってる人間は恋にとらわれている。そうすると、心は自分の生命を監督するために働かさなければならないのが、 感情や感覚の奴隷になっちまう。そうなったら、もう実に人間は惨め以上の哀れなものになっちゃう。
幸せも健康も成功も、ほかにあるんじゃないんですぜ。あなた方自身のなかにあるんだぜ。
外と中と両方から見ろ。それを学問的にいうならば、科学的に考えると同時に、哲学的に考えろと。哲学的に考えると、科学的な考え方がおろそかになるし、科学的に考えると、哲学的な考え方がおろそかになる。
悲しいことがあっても、それを楽しみにふりかえる。苦しいことがあっても、それを楽しみにふりかえる。腹が立つことがあっても、それを楽しみにふりかえるというふうに、おのれの心をスッスッと変えていく。
常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉っていうような、言葉のみを使っている人、そういう人は心がけなくても、人に幸福を分けている人だよ。
生きる正しい法を知って生きたら、人生ぐらい愉快な、人生ぐらい恵まれた、人生ぐらいありがたいものはないんです。
偉くなる人とそうならない人と、差が出てくるかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が全然違うからなんです。受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差なんです。
他人の喜ぶような言葉や行いを、自分の人生の楽しみとする、という尊い気分になって生きてごらん、今日から。
思考が人生の一切を創る。積極か消極かというだけで、人生の幸福の宝庫が開かれるかどうかが決まってしまう。
自分が世のため、人のためを考えていれば、そんなわがままな欲望や執着心は消えてしまうよ。
たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
誰がなんといおうが、本人が「有り難い、幸福だ」と思っていたら、不幸はありえない。だから幸福は、心が生み出すきわめて主観的なものなのだ。
自分の気に入ったものだけかわいがって、気にいらないものはかわいがらない。そういうのは本当の愛情じゃないんだぜ。太陽のように、あれこれと選ばないで、普遍的な気持ちで愛さなければだめなんだよ。
ぼやぼやしてちゃいけないよ。人がつくった衛星が宇宙を飛んでる時代に、縁起がどうのこうの、日の良し悪しや占いが迷信がなんて、みんな自分自身に、消極的な暗示をかけているんですよ。
人生は苦の娑婆(しゃば)だなんて言っているのは、悟りを開けない奴の寝言ですよ!
自分の人生もっと尊く、強く、正しく、清くして、人生幸福のゴールへとお入りなさいよ
心も身体も道具である。
どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。
(病気や怪我が)治ったことをうれしがるような人間だったら凡俗だ。悪いときにそれに負けなかったことをうれしがらなきゃいけないんだ。何でもない(=悪くない)ときにうれしがるのはあたりまえのことだ。
人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
自分の心の中に何か悩みがあるならば、先ずそれは「取越苦労」かあるいは、「消極的思考」かの何(いず)れかである。故(ゆえ)に入念に省察すべし。
心の態度が積極的になると、心の力が不可能を可能に逆転せしめる。
人生はどこまでも生かされる人生であっちゃいけない。生きる人生でなきゃいけない。
感謝につきまとってるのが喜びなんだから、まず感謝からだすことを習慣にしてごらん。どんな苦しいなかにいても、苦しさを感じてこない。
心の態度が積極的であれば、敵をも味方にせしめられるんであります。
模倣も極致に到達すると真実と同様になる。この真理に則(のっと)って、善いという事は極力、模倣に専念すべきである。
天にはわれわれのような言葉はない。そこで事実をもっておまえの自覚をうながされたのだ。これは非常に貴重でありがたい天のお恵みなのだ。それを不満に思って恨んだり嘆いたりしてはいけない。嘆きを感謝に振り替えて、自ら喜んで誤りを改めるように、自分の心を積極的に向け直すべきだ。
しっかり考えなさいよ。あなた方が現在、何か人生に苦労を感ずるものを持っているとしたら、それをただ苦しい、情けないと思うよりも、仔細(しさい)にそれを検討なさい。
意志の力の強いっていうのと、強情っぱりと同じにしてちゃあだめだ。強情っぱりっていうのと、意志の力はぜんぜん違うんだよ。乱暴と勇気が違うのと同じようにね。
自分の成功や幸福のことよりも、他人の成功や幸福を願い、かつそれに向けてまい進していけば、いつの間にか、自分も成功と幸福を掌中におさめることが出来るのです。
おかしな奴が世の中にいるもので、他人が憂鬱になったり、悲観したり心配していると、同情の垣根を飛び越しちゃって、相手をよけい心配させたり悲観させたりしている奴がある。
筆を洗ったまっ黒なコップの水も、水道の蛇口のところに置いて、ポタリポタリと水を落とせば、一晩のうちにきれいになってしまう。
船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それとも、この船が沈没しやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは何もなかろうじゃないか。人生もまたしかりだよ。
人の落ち度は、許すより忘れてしまえ!
イマヌエル・カントという哲学者がこう言ったでしょう。「幸福は物に求むべからず。 心に求めよ。」お前がほんとうに仕合せになりたかったら、心の中に求めなければ駄目だ。
花のさいている根元にこのきれいな花を咲かせる養分がある。
今日一日、怒(いか)らず・恐れず・悲しまず、正直・親切・愉快に生きよ。
人としてこの世に生まれて一番大切なことは、人に好かれる人間になることだよ。
人生に対して積極的精神を有(も)つものは、常に健康や運命の勝利者となる。
良い運命の主人公になりたかったら、心の中に感謝と歓喜の感情を持つことだ。感謝と歓喜に満ちた言葉と好意は、人生の花園に善き幸福という実を結ぶ。
人間の活力は「気」と呼ばれ、肉体を基盤とした「精神」に宿る。精神の豊かさの根源は、科学的に見れば物質的なものだが、哲学的に観察すれば非物質的な精神的なものである。
もし何かしら煩悶があるとすれば、自分が分不相応のことを考えていることに気づきなさい。
なにか悲しいこと、辛いこと、そのほか消極的な出来事があったら、努めて「笑う」ようにしてごらん。どうだい、これならあなた方でもできるだろう?
体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力の六つの力が充実した時、「ああ、俺は本当に幸福になった」と感じることができるのです。
絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。
私は毎晩の寝がけに、鏡を前において、顔を映して、じいっと顔を見て、「お前は信念、強くなる!」と一言いって、床の中に入る。
自分が知って知らずに関わらず、蒔いたとおりに花が咲く。
欲というものは捨てられないんだから、楽しい欲のほうへ切り替えると、少しも欲に苦しめられない。
おまえの頭の中に、何が描かれているか当ててみようか?それはおまえが失敗して、しょんぼりしている哀れな姿だろう。そんな絵は、消してしまいな!おまえが、堂々と相手を説得して「大成功!」というシーンを(頭の中に)描くのだよ、そうすれば仕事もきっとうまくいく!
感謝するに値するものがないのではない。感謝するに値するものを、気がつかないでいるのだ。
一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
人間の地獄をつくり、極楽をつくるのも心。心は我々に悲劇と喜劇を感じさせる秘密の玉手箱である。
私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから、何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。そうだ、強い、強い、力の結晶だ。
あなた方ねえ、苦労したり、悩んだり、人を憎んだり、怖れたり、悲しんでるとき、気持ちいいですか。あんな嫌な気持ちはなかろう。その嫌な気持ちをなぜ心にさせるんだ。喜ばせてやれ。しじゅう楽しく考えさせてやれ。それが心に対するあなた方の義務だぜ。
現在も永久にも、自分がやましい気持ちを感じないというものこそ、本心良心のあらわれ。自分の言葉や行いは常に本心良心そのままという気持ちを心がけの第一とされたい。
数ある同僚の中からぬきんでて偉くなる人は、結局、偉くなるべき資格をもっているんです。その資格とは、「誰にも言われなくても、日々毎日、実際に努力している」ことなんです。
心が積極的になれば、たとえ人生に苦難苦痛があろうと、心の力で喜びと感謝に振りかえることができる。
本当の欲望というのは楽しい欲望の方なんだ。欲すれば欲するほど楽しくなるのが本当の欲望なんだ。だから、楽しめる欲望を炎と燃やしなさい。楽しい欲望は、燃やせば燃やすほど、人生を豊かにするものなんだ。
喜びのないところには、本当の生きがいのある人生というものがない。
人生は笑いで過すことである。一家揃って・・・特に主人をはじめ家族の外出や帰宅の際は、一層にこにこすることが肝要である。多少の不満や不平はさらりと捨てて・・・。
欲は全ての進化と向上の源泉である。欲を押さえつける必要など少しもない。
念願や宿願が叶う、叶わないということは、自分の外にあるのではなく、すべて自分の心の思いよう、考え方の中にある。
「人間とは感情の動物」ではなく、「人間とは感情を統御しうる生物」なり。
その一語一語、その言葉のすべてが、人生に直接的に影響する暗示となる。
人生に最も注意すべきことは、得意の時に一(ひと)しお心の備えを緩めぬよう心がけることである。
四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。
絶対に出来ないことなのに、出来そうだと思って懸命に努力し、結果、それが悩みの種となるということの一つに「捨欲」、欲を捨てるということがある。これには多くの人が気が付かないでいる。
運命だって、心の力が勝れば、運命は心の支配下になるんです。
元気かい!若者は常に元気という「気」を心に燃やし続けることだ。
生きていることを楽しもう。そうすりゃ、治る病なら、黙っていてもすぐ治る。治らない病は、どう思ったって治らないんだから、そのときはしょうがねえじゃないか。
健康も長寿も運命も成功も、極論すると、人生の一切合財のすべてが、積極精神というもので決定される。
暗い面や嫌な面ばかり見ていたら、この世の中、明るさなんて見えやしないさ。暗いのならば窓を開ければいい。そこから光が差し込んでくるさ。
「俺は運が悪いなあ」と思わないで、「ああ、何か俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いがあったのを、こういう結果になって、天が教えてくれているんだなあ」と考えなさい。
人生に一大事が起きたとき、凡人は心の平静を失って狼狽してしまうが、できた人物は、平然と対処する。この境地を絶対積極という。
蒔いた種のとおり花が咲く。
人間の心の本質というものは、真・善・美という尊いもので、それは大自然の調和と同様なものなのである。
やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。
信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。従って信念なき人生は、ちょうど長途の航海の出来ないボロ船のようなものである。
どんな場合にも「こまった」「弱った」「情けない」「腹がたつ」「助けてくれ」なんていう消極的な言葉を、絶対に口にしないことです。
活きている間に、一日一刻といえども、完全に活きることが、この貴重なる生命を与えてくれていた造物主への正当な義務である。
欲望を無くそうとする欲こそ、もっとも大きい欲だということに何故気づかんのか。
終始一貫、笑顔でとおすようにしてごらん。不運な人、体の弱い人は、ひとしお、笑いに努力するんだ。笑うにつれて、人生の幸福と幸運がどんどん開けてくるから…。
広大無辺の大宇宙よりも、さらに心は大きい。
鉛は鉛、金は金。鉛に金メッキして、俺は金だというような顔をしなさんな。
心ってものは、苦しまないときは喜んでいるんだ。人間の心というのは、一度に二つのことは思えない。苦しがっているときは、楽しがっていることが引っ込んじまう。楽しがっているときは、苦しがっていることが引っ込んじまう。両方いっぺんには無理だろ?
言葉には人生を左右する力があるんです。この自覚こそが人生を勝利にみちびく、最良の武器なんですよ。
明日という日は永遠にない。
心を己の生命が生きるための道具として使わないで、反対に心に使われているがための結果なんですよ、どんな心配でも。
一切の人生の果実は、その人の蒔いた種子のとおりに表現してくる。
とにかく自己向上という意欲を、自分の心に燃やさないで、そういう希望や、理想を持たないで生きてる人は、いいかい、自分自身の人生存在を、極めて軽く見ている人だぜ。
心の奥の、大掃除をやらなければいけない。
うつくしいという言葉はしっくりと調和しているという言葉の代名詞で、さらにうつくしいというのは完全だということにもなるのである。
もし、知識だけを磨いて人間が幸福になれるなら、学問を一生懸命勉強した人はみんな幸福になれそうなもんじゃないですか。そして、学問を勉強しない人はみんな不幸であるべきはずだが、そうじゃないでしょう。
すべての消極的な出来事は、我々の心の状態が積極的になると、もう人間に敵対する力がなくなってくるものだ。
われわれが理性を無上のものとして尊重し過ぎることは決して賢いことではない。まして人生の万事を理性に全部依存せしめるという態度ははなはだしい誤りである。
川には必ず水源があります。
進んで持てば重荷も軽い。いやいや持てば半紙も重い。
初(しょ)一念を貫徹する強い心が、成功させる。
喜びと感謝の気持になって、生きてごらんなさい。理屈を言わないで。自然とあなた方の心の中に、大きな光明が輝き出すから。