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中野孝次

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中野孝次は、1925年(大正14年)1月1日に千葉県市川市の大工の子として生まれ、独学で旧制高校に進み、第二次大戦出兵を経て、東京大学独文科を卒業し、その後、国学院大学で教鞭を執る傍ら、ドイツ文学の翻訳紹介に努めて活躍しました。近代化と自己を冷静に分析したエッセイ『ブリューゲルへの旅』(1976年)、自伝小説『麦熟るる日に』(1978年)、愛犬の思い出を綴った『ハラスのいた日々』(1987年)などが有名です。

所有が多ければ多いほど人は心の自由を失うのである。
ひとはそれぞれ違う環境に生まれ、異なる資質、性格、才能、顔つき、体型を先天的に与えられる。運命が与えたその条件に文句をつけても始まらないのだ。
母親はわが子を、それが利口だとか、美しいとか、活溌(かっぱつ)だとか、なんらかのそういう人にすぐれた美点のゆえに愛するのではない。母はわが子を選んだりはしない。ただそれが自分の子であるという、それだけの理由で、絶対的に、無条件に愛するのだ。ここにあらゆる愛のモデルがある。
不平家というのは、最後までその自分の運命を受け入れられなかった人のことだ。
自分を全面的に出して文章を書くとは、敵を作ることでもある。
ひとはその所与の運命を自分のものとして受け入れなければならず、たとえそれがどんなものであれ、それを最大限に生かしてゆくしかない。自分を受け入れ、そこから出発してゆくしかない。
本当に人の心にとどくのは、自分が自分だけの頭で考え、感じ、これが真実の声なのだとして発する、そういう声だけである。
犬が人間にとって本当にかけがえのないもの、生の同伴者といった存在になるのは、犬が老い始めてからだ。
昨日は既に去ってなく、未来は未だ来ずしてなく、あるのは「今ココニ」という、永遠に直接した絶対的現在だけではないか。いま自分の生きている一日がすべてである。その時に徹底して生きよ。
人間をダメにするのは窮乏よりも過剰である。
思想とは何よりもまず、自分の頭でものを考え判断する力を持つ、ということだ。
世間ではともすれば、金銀でも持ち物でも多く所有すればするほど人は幸福になると信じているようであるが、これくらい間違った考え方はない。
いやなことを堪え忍んで裕福な暮らしをするより、貧しくとも自由を愛する。
持つこと(to have)は君自身の本質とはなんの関係もない。むしろ君が流行に敏感であればあるほど君は外の情報にふりまわされて君を見失い、君の本質から遠ざけられるだけだ。
外国を知るには、その国に住んで暮らしている人と知合いになるのが一番で、誰かと親しく付合うことによってしかその国を内側から知ることはできない。
(夫婦)ふたりが一体となって自分たちだけの歴史をつくっていくとき、その歴史が今度は逆に老年になって夫婦を支えるたしかな基盤になってくる。