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落合信彦

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落合信彦は、日本出身のジャーナリスト兼小説家。諜報関係の事情をレポートした作品を多数残す一方、アサヒビールのテレビCMキャラクターとしても知られ、親しまれている。高校時代には柔道を活動していたとする情報もある。アメリカのレディング大学で奨学金を得て学んだ後、日本に帰国し、ジャーナリストや小説家として活動を開始した。'

いい男の条件の一つは、「格好をつけ、やせ我慢ができる男」である。例えば、ひとりの女を心の底から愛しているとする。だが自分と一緒になるよりも、その女が幸福になる生き方の選択があるならば、自分の気持ちを捨てる。これもやせ我慢のひとつだ。
(批評家が)始末に負えないのは、批評家という人種は特定の人間の提灯持ちをするため、そのライバルをけなしまくることが多い。
何もないのに守りに入り、20歳や30歳で老齢年金のことを考えてちゃ、やっぱり首から鎖は取れないよ。首輪を切ろうとしたら、自分の首を切るぐらいの覚悟がなくちゃ。ワイルドな犬は、首を傷だらけにしても、そうするんだ。
洋の東西を問わず、批評家ほど迷惑がられ、うさん臭い目で見られてきた人種はいないのではないだろうか。
知識は詰め込むものではない。吸収するものなのである。
作家や作曲家の多くは、けなされても無視することが多い。下手に反論したりすると相手を有名にするだけだからだ。だから、「どうせあの連中は何も分かっちゃいないんだから」と割り切るしかない。
力を余すなんて男のやることではない。やるからには全力で。それがお前の限界か?
自分が何を得られるかじゃなく、人に何を与えられるか、まずそこから考えて欲しい。
あらかじめ、「すきま時間ができたら○○をしよう」と準備をしておくことが、時間を有効に使う第一歩である。
人間、欠点や失敗は恥でもなんでもない。問題は、それらを克服し、「こうなりたい、ああいうことをやってみたい」という目的観があるかどうかなんだ。
批評は主観の産物である。しかし彼ら(=批評家)は言いっ放し、言われる方は反論の手段がない。しかも、一昔前のものさしで判断していることが多い。これは裁判官と良く似ている。しかし、裁判官は、「疑わしきは罰せず」だが、批評家は気に入らないもの(と言うよりは自分で理解できなかったもの)を、ところかまわず有罪にしてしまう。
最悪を想定し、最善を尽くせ。
勲章ほど、付けている人と見る人とのギャップが激しいものはない。しかも、退屈な人、もうろくした人ほど勲章を欲しがる。もらってようやく自分が高く評価されたような気になるのだ。
MBAに批判的な理由──1.「カンパニー」とは、生身の人間の集団であること。2.経営と知識とは、あまり相関関係がないこと。3.経営の基本は「前例を検討し、ベストを考える」のではなく、「前例を破る」ことにある。4.企業は悪いところを修理するものではなく、勝てる部分を伸ばしていくものであること。
人生、フルスイングでいかなきゃ。野球のホームランを打つのだって、フルスイングしなきゃ打てないだろう。バントじゃダメなんだ、人生は。たとえ空振りしても、思いっ切り振った方が気持ちいいんじゃない。一回空振りしても、ワンストライクだけで、まだツーストライクも残ってんだから。
文学に限らず、音楽や美術の世界でも、批評家にボロクソに言われながら、歴史に名を残した傑作は枚挙にいとまがない。
とにかく今日やってることが3年後の自分をつくるんだという気持ちでやっていかないと、何も始まらないんだな。
「いい男」とは何なのか?ひとことで定義づけるのは難しいが、その条件のひとつが私は「格好をつけ、やせ我慢ができる男」だと考えている。つまりなにか大切なものや、ことのために精神的、肉体的なものを犠牲にできる、ということだ。
いまは本音で生きることが大切にされる時代である。だがすべての人間が本音で生きていたら、世の中全くおもしろくなくなってしまう。いつの世にもやせ我慢しながら格好をつける男や女が必要なのである。
「無借金経営」はリスクがない上に、考える必要がない。一見借金がないのは良いことに見えるが、実は、消極性を示すものでしかない。ひいては、これは経営者の頭脳を腐らせる上、意欲をも摘み取ってしまう。「カネ」も「頭脳」も使ってこそ価値があるのだ。
たいした命じゃないんだ、燃え尽きるまでやれ!