眼と眼を見合わす。ほんとうに真正面から相手を見なければダメ。
男と女は支えあって生きるのだ。ほんとうにそう言いきれる。パートナーを持ち得た人は、人生の勝者です。何でも出来るの。
どんな人間であろうと、ひたむきに、今を生きている姿は、切なく美しい。
女性たちは、自分が女として見られていると、刺激されて、ハイになるのよ。
男と女が本当に見つめあい、付き合うというのは辛いことでもある。切ない。だって、別の人間同士なんだから。
「自分らしく生きたい」そういう人がわりに多いのよ、男の人でも、女の人でも。「自分らしさ」なんて、そんなもの、ほんとうにあるのかどうかもわからないのにね。
誰も認めてくれなくったっていいの。「わたしっていいなぁ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。そうすれば、恋は豊かよ。そういう自分を、ある人のために、無条件に、惜しげもなく投げ出すのよ。
「恋なんて若気の至りだ」とか、「いまさら、そんな」とか。なぜ?八十や九十になって、若気の至りをやってはいけないの?
セクシーじゃない男なんて、しょうがいないわよ。
男の人が転んじゃったり、失敗したらね、一緒に泣いてあげても言いし、しょうがないなぁと思ってもいい。大切なことは、やりたそうなときにけしかけてあげること、「ああ、それはいいわね、あぁ、すごい!」って、言ってあげれば男の人はどれほど元気になりますか。男の子が元気になったら、女の子はもっと楽しくなるのよ。
女が心からこうあって欲しいと思い描き、情熱的にみつめると、男はそうなってしまう。やって御覧なさい。思えば、そうなる。
女は自分の中に子宮を持っている。自分で自分をはらむことは出来ないけれど、感覚として、自分を包み込むことは難しくない。だから女は一人でも生きてゆける。
みんな、生まれたときは芸術家なんですよ。人間同士としての誠実さの中で、すくすくと育った子供たちは、人生においても、恋愛においても、芸術家のままでいられるのよ。
もしかしたらこの人は、私のために身を捨ててしまうんじゃないか、という危険な香りをほのかに漂わせて近寄ってくる男がいたら、これは美貌よりも、権力よりも、勿論(もちろん)お金よりも、段違いに魅力的ね。
「ああ、それは素敵ね。 やれば。 私は見ている。 あなたがやるのを、見たいわ」といって、にこっとしてほしい。それによって、男は雄々しく、健やかになるのよ。
(好きな)相手に向かって真っ直ぐに突き進む。永遠の若さは足元にあるのよ。
男が自分を縛って、いじいじと小さくなってしまうくらいなら、女が半分背負いたい。少々無鉄砲で、先の見えないことに飛び込む男でも、世間では無視して認めてくれないようなことに熱中する男でも、やりたいことがあって、目の光ってる男のほうがいい。
バカじゃないのと私は思うよ。いま、そこにいる二人が、向き合っている方がずっと実存なんだから、そのことを大事にすべきじゃない。やきもち焼いている暇はないの。
もっと自分をさらさなきゃ、何も始まらないわよ。
やっぱりちょっと野蛮でないと、色っぽくないもの。
「女は何のかんの言っても、所詮、金だ」なんていい気になっていると、結局、ほんとうの女の魅力、凄みには遭遇できないものと、あきらめるべきね。
男と女は一緒に成長するの。男に惚れることによって、女もふくらむ。男はまた、女に応えようと、もっといい男になる。
女は可哀そうなもの、独りでひそかに泣いているものを、胎内にくるみこんでやりたい本能がある。
「まわりを見わたしても、ロクな男がいない」だがそれは、女も悪いと私は思う。お互いに相手を引き出し、ふくらませなければ。
恋愛っていうのは必ず片思いなのね。
誰も認めてくれなくったっていいの。「わたしっていいなぁ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。
男は変に気遣わずに、信頼する女に身を預けて欲しい。それがどんなに人生を豊かにするか。
男は力がなければいけない。私は何も威張ってろとか、暴力的であればいいといっているのではない。静かで、普段おとなしくても、存在感がある、という男に女は弱い。
愛している。好き。何かしてあげたい。それだけでじゅうぶんじゃないの。
やれることだけを一生懸命やるの。「私はやれるだけのことをやっている」って思ったら、そんなにヒステリックになることもないと思うわ。
一人の女がこれだけ心の底から尊敬し、慕い、全存在を賭けているということは、男を力づけないはずはない。
自分は自分で立っていること。そうでないと、いつまでたってもその恋愛はむなしいままね。
けしかけて、もっともっと男の子を男の子にするの。
賭けなきゃ。自分を投げ出さなきゃ、恋愛なんて始まらないじゃない。
男の人は可哀想だ。彼らはみんな、母狐に追っ払われた孤児なのだ。
男は考え違いをしている。一生懸命、無理して役割を果たしているのに、女はちっともわかってくれないと心外に思っているだろうが、わたくしたちは、何もそんなことを頼んでいないのよ。
いいじゃない、傷ついたって、楽しかろうと苦しかろうと、それが人生なんだもの。
男の人は、なんといっても色っぽくなければならない。これが魅力の前提条件。
女には理屈では納得できない、独特の脈略というものがあるのよ。
愛情があるかどうかを確認しないと、成り立たない関係なら、やめたほうがいいわね。彼のことを好きなんでしょう?いいじゃない、それで。
戦闘には向いていないけれども、受け入れたり、耐えたり、いたわることには、広いキャパシティを持っている。それが女よ。
女は男によって磨かれる、と同じように男は女に影響される。
男の色気は年齢に関係ないのよ。
「私のこと愛してる?」とか、「どのくらい好きって?」って。だいたい、そんなこと問いつめてどうするの。
女の人がよくないと思うのは、男の子が何かをがんばって失敗したとき、「ほらごらんなさい。 あのときいったじゃないの」って、すぐに情熱的になるところ。思い当たるでしょう?マイナスの時だけ情熱的になるのは女の子の卑しさなのよ。
出会いがないという人は、出会ったことに気づいていないか、自分に都合のいい恋をしたいと、思っているだけなんじゃないかしら。
何が起こるかわからない。一刻一刻展開する。生きるって、そういうことでしょう。
「女ってたいがいバカなんだよな。 バカなんだけどわかっているんだ」っていいでしょう?わかっているのよ。
いつでも一緒に死ねる人。いのちをワシ掴みにするような恋。その人が何も意思表示してくれなくても、遠くからでもじっと見ていたい、できるなら何とかしてあげたい、お返しを求めない無償の情熱が恋なの。
(男は)フェアにお互いを自立した男女関係を求める。だが最後は許してくれる女、抱き取ってくれる存在を信じている。それは闘う男の痛切な夢なのかもしれない。
(好きだって)いわれなきゃわからないようじゃ、はじめからやめちまった方がいいわよ。
どんなに仲のいい二人でも、必ずどちらかが満たされぬ思いを持っている。一緒であるってことはあり得ない。
女性が、男の人のはなしに心から耳を傾けること。「うわぁ、素敵、それで?」と眼を輝かして夢を聞いてあげること。それだけでいい。
私のほうを向いてくれなければとか、優しくしてほしいとか、そういうのは我欲ね。所有したいというのは、本当の恋じゃない。
恋なんて、人生の中では一番無目的で、危なくて、自分を投げ出さなければできないことなんですもの。
戦っている男、あるいは戦場に出て行こうとしている男こそ、最高に色っぽいのだ。
女にとって、組織や役割なんて、いつでも脱ぎ捨てられるガウンのようなもの。
恋愛は、それぞれに、「自分」であってこそ成り立つもの。 二人が今この瞬間いっしょにいる。それだけで素敵なことなの。
素敵な男でなければ、女(にとって)はつまらない。男を、そういう魅力的な存在にするのは、実は女の働き、役目なのよ。
自由である、ということが男の魅力の前提条件だ。
お互いに相手を引き出すの。自分だけでは「自分」になれないもの。
自分がその人を好きだという、その気持ちに殉じればいい。