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プラトン

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プラトンは古代ギリシアの哲学者であり、ソクラテスの弟子としてアリストテレスの師に当たります。彼の著作は『ソクラテスの弁明』や『国家』などで知られており、主な概念として問答法(弁証法)や正義・徳・悪などがあります。

愛の一触れで、人は誰でも詩人になれる。
子供はすべての動物の中で最も取り扱いが難しい。なぜなら、子供はまだ鍛錬されていない思慮の泉を最も多く持つがゆえに、動物の中で最もずるく、すばしこく、高慢であるからである。
人間は、ただ神の遊びの具になるように、というので創られたのです。
財産とは、一に健康、二に美貌、三に富である。
愛は貧と富との間に生まれた子。
徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方なり。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さなり。
(自分に)見つめられていない人生は、生きる価値がない。
賢い者は、言うべきことがあるから話し、愚かな者は、言わねばならぬから話す。
時は未来永劫の幻影なり。
我々の現在の生は死であり、肉体は我々にとって墓場である。
始めは全体の半ばである。
人類の暴君たる法は、(人類の)本性に反する多くのことをなすべく、しばしば我々に強制す。
ものによっては、それについての無知が善いことである。また人によっては、ある状態にあるとき、無知が善いことである。
人は持たぬもの、あるいは知らぬものを他の人に与えることも、他の人に教えることも出来ぬであろう。
もし死が感覚の欠落で、夢さえ見ない眠りのようなものであるなら、それは実際、素晴らしい賭けだと言えよう──それに反して、死がいわば、この世から別の場所に転出することで、そこでは死者たちが全て相集(つど)うという俗説が真実であるとするなら、それにまさることが他にまたとあろうか?
老齢は明らかに迅速なり。我らに必要以上に迅速に切迫す。
神は永遠に幾何学する。
生成するすべてのものは、全体の生命の根底にある、あの永遠なるものを幸福にするために生成するのである。この全体は、君のために生じているのではなく、君が全体のために生じているのだ。
いかなる人間にも、三つの望みがある。健康であること、正直な手段で金持ちになること、そして美しくあること。
笑いの実は青いうちに摘んではならない。
幾何学は、人間精神を真理に近づける。
人間のことは何にてあれ、大いなる心労に値せず。
思慮を持ち、正義をかざしてその生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。
俗衆の神々を否定することが冒涜にあらずして、俗衆の見解を神々に適応することが冒涜なり。
私は、少なくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも知恵の上で少しばかり優っているらしく思われる。
徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである。
人生における幸福は、平静さを失わない性格、忍耐力と寛容、周囲の人たちへの好意や思いやりなどに左右される部分が大きい。
親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。
哲学というものは、たしかに、結構なものだよ、ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。
恋に肩をたたかれた時には、いつもは詩的な調べに耳をかさないような男でさえ詩人になる。
文章の長短はその文章の価値を奪ったり、付与したりする特性にはならない。
力は正義なり。
真理は子供の口から出る。
人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」という三つの種類がある。
スタイル・ハーモニー・優雅・よきリズムの美は、簡素さによる。
優しくなりなさい。あなたの出会う人々は皆、困難な戦いに挑んでいるのだから。
いかなる人も、好んで真理から除け者にされる者なし。
不正を非難する人は、自分が不正を行うことを恐れて非難するのではない。自分の不正が見破られることを恐れて非難するのである。
信仰を持って闘えば、我々の武装力は二倍になる。
哲人が首長たり、首長が哲人たる国家は幸いなり。
破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、ともに欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。
子供には、服従することさえよく教えておけば、他のことは好きなようにやらせてよい。
恋するものの狂乱は、あらゆる狂乱の中で最も幸いなるものなり。
恋されて恋するのは恋愛ではなく友愛である。
学んだものと学ばない者、訓練を受けた者と受けない者とでは、まさに大違いなのです。
哲学者の全生涯は、まさに死に至ることと、その死を成就することに他ならない。
偉大な人物たらんとする者は、自分自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきなのだ。
嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するのが、相手を凌駕する道だと考える。
数学を学ぶのは、不滅の神々に近づくことである。
本質と存在の融合が最高度に実現されるのは、まさに愛を通してのみである。
よく練られた仕事は、半ば終わったようなものである。
哲学は最高の文芸なり。
友情は全世界の富に勝れり。
無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。
だれに対しても、不正を不正でもって、悪を悪でもって、埋め合わせしてはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようと、である。
死とは、いわば存在の消失で、もろもろの事柄に関する感覚が残らず欠落することか、さもなければ、俗説の説く通り、魂が変転してこの世から別の場所へ移り住むことか、そのどちらかである。
正義とは、強者の利益にほかならず。
「不正」はお互いの間に不和と憎しみをつくり出し、「正義」は協調と友愛をつくり出す。
身体の健康には体育が必要であり、精神の健全には芸術が必要である。
人間の世に起こる事件で心配に値するものは何もない。
美は真理の輝きである。
二度子供になるは老人のみならず、酔っ払いも然(しか)り。
死人のみが、戦争の終わりを知る。
節制や不屈の精神、自由、荘厳といった理念を理解することがなければ、決して音楽家にはなれない。
人は苦悩を通じてしか清められない。
好機とは、何かを受け入れたり、何かをなすべき唯一の一瞬をいう。
正義とは、己にふさわしきものを所有し、己にふさわしきように行為することなり。
少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか。少年自身で見出しやすくなる。
他人の幸せを願うことは、とりも直さず自分の幸せを求めることである。
私は毒蛇にかまれても、かまれたことのある人々以外にはその状態がどういうものであったか語る気にならない。なぜなら、この人々だけがその苦痛の凄さを分かってくれ、同情してくれるだろうからね。
子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解する事が一つあります。それは偉人の立派な行為のことです。
自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。
仕事は最初が肝心だ。
あなたの悲哀がいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念が含まれているからだ。
いくら学び、知識を身につけても人間は全知全能になることはできないが、学習している人間と無知な人間を比べると、天地の開きがある。
人間のやらかす事件で、失敗するに値するものなど何もない。