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斎藤緑雨

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斎藤緑雨は明治時代、小説家・評論家である。神戸出身で、1868年(慶応3年)1月24日に生まれ、1884年に仮名垣魯文に師事して文学活動を開始した。「正直正太夫」「登仙坊」など、多くの小説を残した。

犯さんがために法律があり、破らんがために道徳あり。犯す者、破る者なくんば、何の日か、法律・道徳の効果を表顕(ひょうけん)し得ん。
人生の妙は、善ありて生ずるにあらず、悪ありて生ずるなり。世に物語の種を絶たざるもの、実に悪人のおかげなり。
夫婦は恋にあらざること云(い)うまでもなし。夫婦は恋の失敗者と失敗者とを結び合せるものなること、また云(い)うまでもなし。
人は常に機会を待てども機会は遂に人を待たず。
流行にろくなものなし、ついて見るにうなずかるるふし絶えてあらず。
「寒い晩だな」「寒い晩です」妻の慰めとは、まさにかくの如(ごと)きなり。
馬鹿が馬鹿を馬鹿だといえば、馬鹿が馬鹿を馬鹿だという。馬鹿で持ったる我が世なりけり。
貧を誇るは、富を誇るよりもさらに卑し。
誉れもなく耻(はじ)もなきを、世は人といわず。耻と誉れと相半(なかば)したる間に於(おい)て、人の品位は保たるるなり。
懺悔は一種ののろけなり。快楽を二重にするものなり。懺悔あり、ゆえにあらたむるものなし。懺悔の味は人生の味なり。