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佐藤一斎

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日本の江戸時代の儒学者である佐藤一斎は、1772年11月14日(当時の明和9年10月20日)江戸浜町(現在の中央区日本橋浜町)で生まれた。佐藤家は美濃国岩村藩出身で、代々藩の家老を務める家柄だった。1790年から岩村藩に仕えていたが、翌年に免職となり、大坂で遊学した後、江戸に戻り、林簡順の門下となり、1845年の江戸大地震を経て、婦人(夫人か妹か不明)の付き添いで林家の令嬢を越えて建てた屋敷を「捨蔵」と名付けるなど、多くの方々と出会い、学問の拠り所となった。安政6年(1859年)9月24日に病死した。

過ぎ去ったことを思い出すことのない人は、現在の仕事においてもいい加減である。
逆境に遭ふ者は宜(よろ)しく順境を以(もっ)てこれを処すべし。順境に居る者は宜しく逆境を忘れざるべし。
愚か者の鈍さは利口者の砥石です。
今時の老人達は、むやみに年をとったといって、自分を役に立たぬすたれ者としてそれに満足している者がおるかと思うと、いまだに少年達がするような幼稚なことしかしない者がいる。それらは宜(よろ)しくないことである。
必ずしも栄誉を請い求めることはしなくてもよい。恥辱を受けることが無ければ、それが栄誉なのである。
下情には通ぜざるべからず。下事には即ち必ずしも通ぜず。
一燈(いっとう)を提(さ)げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。
心の安穏(あんのん)なる処(ところ)は、即(すなわ)ち、身の極楽なる処なり。
人我に負くとも我人に負く勿(なか)れ。
富人を羨むこと勿(なか)れ。かれ今の富は、安(いず)くんぞ其(そ)の後の貧を招かざるを知らんや。
老人は、多くの人々を包み入れる度量をもち、才能のある者を育成することをその志とすることが最もよい。
人我に背(そむ)くとも、我人に背かず。
われまさに人の長所を見るべし。人の短所を見るなかれ。
経験浅い者には諭(さと)せ。人のなかには時々さほど重要でない事を持って来て話す人がある。そうした時には、自分はいつも威張って先方を侮(あなど)る態度になりがちであるが、これは大変よくないことである。その人はまだ経験も浅く、そのために急でないつまらぬ事を大切な事と思いこんでいるのである。そのような時には、穏やかな顔をし、色々喩(たと)を引いて諭してやるのがよい。威張った態度で彼に応対することは、自分の徳を損なうことになる。
老人の自らの養ふに四件有。曰(いわ)く和易(わい)、曰く自然、曰く逍遥(しょうよう)、曰く流動、是(こ)れなり。諸々(もろもろ)激烈の事(こと)皆害有り。
必ずしも長寿を祈ることはしなくてもよい。若死にしなければ、それが長生きなのである。
人の言は須らく容れて之を択むべし。拒むべからず。又惑ふべからず。
名は求むべからずといえども、また棄つべからず。
必ずしも無理に富を求めることはしなくてもよい。飢えなければ、それが富むことである。
人の賢者は初見の時に於(お)いてこれを相す。多く誤らず。
人は厚情と誠実。
言葉というものは、必ずしもその多いとか少ないとかということを問題にする必要はない。ただ、その言葉が時と場所において適切中正であることが大切である。そうであれば、聞く人は言葉の多いことを別にいやに思わない。
総(すべ)て事業をなすには、ぜひとも天意に従う敬虔(けいけん)な心を堅持することが肝要である。功を人に誇示し、自分の存在を社会に認めさせようとする気持ちがあってはいけない。
親類の者に親しみを持たない人は、他人に対しても薄情である。
人を用うるにはよろしく長を取りて短を捨つべく、みずから処するにはまさに長を忘れ短を勉(つと)むべし。
生はこれ死の始め、死はこれ生の終わり。生ぜざれば則ち死せず、死せざれば則ち生ぜず。
応酬の工夫は、当(まさ)に閑居(かんきょ)独処(どくしょ)の時の如(ごと)きと一般なるべし。
たとえ他の人が自分を裏切る行ないをしても、自分はその人を見捨ててはならない。そして、他の人からそむかれた原因を十分に反省し、自分の人間をきたえ、みがく材料にするのがよい。このようにすれば、私にとって利益となる。どうして敵視する必要があろうか。すこしもないのだ。
順境は春の如し。出遊して花を観る。逆境は冬の如(ごと)し。堅く臥(ふ)して雪を看(み)る。春は固(も)と楽しむ可(べ)し。冬も亦(また)悪(あ)しからず。
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎ふ。人生百年、かくの如(すぎ)きに過ぎず。
人は必ずしも無理に幸福を求めることはしなくてもよい。禍(わざわい)を受けることが無ければ、それが幸福なのである。
春風(しゅんぷう)をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自ら粛(つつし)む。
清きものは心を洗う。色の清らかなものは観るのによいし、声の清らかなものは聴くのによいし、水の清らかなものは口をゆすぐのによいし、風の清らかなものは吹かれるのによいし、味の清らかなものは好むのによいし、香りの清らかなものは嗅ぐのによい。総て清らかなものは、われわれの心を洗い清める。
愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿者になれ。
凡(およ)そ剛強の者は与(くみ)し易く、柔軟の者は怕(おそ)る可(べ)し。質素の者は永存し、華飾の者は剥落(はくらく)す。人の物と皆然(しか)り。
老人は多くの人が仰(あお)ぎ見て、敬いしたがう所のものであるからして、その言語や動作は益々端正にしなければならないし、その意気は益々壮大でなければならない。
少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。