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ボーヴォワール

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シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1908年1月9日生まれのフランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家であり、『第二の性』『レ・マンダラン』など多くの著書を残した。1970年代以降、女性解放運動(MLF)に参加し、『レ・タン・モデルヌ』『フェミニズム問題(フランス語版)』などを通して運動を牽引した。ジャン=ポール・サルトルとの長き間の伴侶関係を続け、1954年にゴンクール賞、1975年にエルサレム賞、1978年にノーベル文学賞を受賞した。1986年4月14日に他界した。

女は結婚することによって世界の小さな一部分を自分の領域として与えられる。法律が彼女を男の身勝手から守ってくれる。だが、その代わりに女は男の臣下となる。
人は女に生まれない。女になるのだ。
要するにアダムは単なる試作品である。イヴを創ってはじめて神は、人間というものを完成させたのだ。
実は死が近づくという観念は誤りである。死は近くにありもしなければ遠くにありもしない。死は在(あ)らないのである。
克服できない障害を前にして頑固にふるまうのは、おろかなことだ。
女が不道徳に陥るのは、女にとって道徳というものが非人間的な本質の具体化となっているからである。
夫をつかまえるのは技、とどめておくのは努力。
善はただ一つしかない。それは自分の良心に従って行動することである。
男が、自分で思っているのと同じくらい若く見えることはよくある。だが、自分で思っているのと同じくらい重要な存在であることは絶対にない。
恋する女の最高の幸福は、恋する男性によって彼自身の一部と認められることである。
化粧は女の社会的地位を表現するものである。
恋をすると、人間は一番いい自分を見せるものだ。
文明の全体が、人間と雄と去勢物の中間のものを女性と呼んでいるのだ。
人は天才に生まれるのではない。天才になるのだ。
閑暇は定年退職者に新しい可能性を開いてはくれない。彼がようやく強制から解放されたとき、人々は彼がその自由を活用する手段を取りあげるのである。彼は孤独と倦怠(けんたい)の中で無為に生きるべく運命づけられる。単なる屑(くず)として。
女性にとって、男性の眠りは貪婪(どんらん)であり裏切りである。
男は女にすべてを与えよと求める。女がその通りにすべてを捧げ、生涯をあげて献身すると、男はその重荷に苦しむ。
結婚とは、男女の経済的・性的結合という集団の利益に向かって追い越されることであり、彼ら個人の幸せを確保することが目的ではない。
私は一生のうちで、自分ほど幸福に対する才能に恵まれた人間に会ったことはないし、また私ほど頑強にしゃにむに幸福に向かって突進していった人間を知らない。
結婚は男にとって、しばしばひとつの危機である。その証拠に、多くの男の精神病患者が婚約期あるいは結婚生活の初期に生まれるからである。
どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない。
年頃の娘たちは結婚のために結婚する。結婚によって自由になれるから。
自信がない男ほど、女にいばりたがる。
自分が死すべき存在だと知ったときから、私は死の観念が怖ろしくてたまらなかった。人々が「勇気」と呼ぶものなど、私には何も見ていないゆえの軽はずみとしか思えなかった。
男は妻や愛人(=恋人)が嫌いになると、逃げようとする。だが、女は憎い男には仕返ししようと、手元に抑えておきたがる。
内緒話くらい信用されるものはない。