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高光大船

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高光大船(たかみつ だいせん)は、石川県石川郡北間(現金沢市)の富豪高木家の養子として育ち、浄土真宗の僧侶になり、真宗大学卒業後、七尾市の刑務所の教戒師を務めるなどしていました。1916年、藤原鉄乗、暁烏敏と並んで『加賀の三羽烏』と呼ばれ、金沢に愚禿社を設立、雑誌『氾濫』を刊行しました。1926年から自坊で講習会を定期的に開き、高光一也の父として知られます。

手本にはなれんが、見本ぐらいにはなれる。
往(ゆ)こう往こうひたすらに往こう
蝋燭は彼自身を燃やす他に他意もなければ野心もなく、一心に自分を灯(とも)して行く他ありません。たとへ彼の垂れた蝋が畳を汚すことがあらうと、敷物を汚すことがあらうと、彼自身にはそれに就(つ)いて私は灯っていますと云(い)うことより一言も云いやうがないのです。何と云われやうとも黙って灯って行く他に途(みち)はないのです。
人間とは自分で自分の始末を仕切れぬ者の別名である
本当に自分を知るにはやはり人という鏡がなくてはならない
夜明けの前は闇にきまっている。闇に先立つ夜明けはないことである。人生に迷わぬ限り人生の闇は知る限りでなかろう。況(いわ)んや闇の晴れた喜びなど闇に逢着しない人のこれに参列する資格などあろう道理はないのである。
仏とは拝むものでも見て置くものでもありません。それは食って血にし肉にするものであります。
自分で自分の始末をつけ得ないのが人間の悲しさである。
人は法を求めるに止まって法に生きることを忘れている