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竹村健一

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竹村健一は1930年に日本の山陽特殊製鋼の技術者だった父と母の間に生まれ、1955年から英文毎日の記者を務めていた。1963年に新日鐵グループの山陽特殊製鋼へ入社し調査部長になるが、1年後に退社し、その後はアメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号となり、追手門学院大学英文科を卒業、ジャーナリストとして活躍する。1989年には第5回『正論』大賞を受賞している。

日本では自分の考えを主張する人は歓迎されない。「和」を大切にするからだ。然(しか)し、これからの日本には「主張する人間」が必要である。
大抵の人は、(他人より劣っているという)事実を事実として認めたがらない。あるいは事実を隠し通そうと努力する。だから「失敗したら大変だ」という意識ばかりが先に立って、目の前にやりたいことがあっても、なかなか手を出せない。
初めから明かりの見えているところばかり歩くのではなく、ここを通り越したら必ず明かりが見えることを前提に、あえて暗いところに飛び込むと、明かりが見えてくるということが楽しくなる。
頭は使うが気は使わない。
すべての情報に目を通そうとしてもムダである。自分に関係のない情報ははなから必要ないと考えないと、情報の海で溺れてしまう。いらない情報はただのゴミである。
プロとしての知識・技術を持った人間に、アマチュアは勝てないが、プロは経験を重視するあまり柔軟性に欠ける場合がある。そこにアマチュアがつけいるスキが生じる。
寿司に特上と上と並があるように、人にも、さまざまな生き方がある。同じ一度きりの人生なら、特上の人生を送りたいじゃないか。生まれてから死ぬまで一貫して特上、でなくても構わない。せめて人生の一場面でもいい。
他人をうらやんだりしても、自分は豊かになれない。
「そんなものが商売になるか」と考える人と「これを一丁商売にしてやろう」と考える人がいる。起業して成功するのは、改めて言うまでもなく、後者である。
私は劣等感を肯定し、「駄目なオレが失敗してもともとや」という居直り精神から再出発した。小さなプライドを捨てた。見栄や気負いもなく、無欲恬淡(てんたん)に手当たり次第のことをやってきた。他人に笑われることを怖れなくなったおかげで、本当にいろいろなことができた。
人生は一度しかないのだから、精一杯生きたいと、みな思っているはずです。それが充実した時間を過ごすということです。
時間の豊かさとは「のんびりした時間」ということではなく、充実した時間のことです。
人間が一つのことをやっていていやになるのは当たり前だ。
「知らないこと、わからないこと」は正直に云うべきだ。私はそうしてきた。「えっ」という顔をされるが、みな丁寧に教えてくれる。「恥」より「得」のほうが大きいのだ。
人間は誰だって劣等感を持っている。他人にひけ目を感じる部分を必ず持っている。事実は事実として、はっきりそう認めてしまえばいい。居直るのだ。
情報収集の最大のポイントは、目的をはっきりさせることである。何のために情報を集めるのかを曖昧にしたまま、総花的になんでもかんでも溜め込むのは愚の骨頂だ。
自分のやりたいことをするのが、今の自分を生かす手段なのである。そう考えれば、その手段はいくら変わってもいい。要は、自分がどう生きれば楽しいのか、どう生きれば自分で満足できるかということだ。
壁にぶつからないようにするためには、じっとして動かずにいるか、山奥に逃げ込んで世捨て人になるしかない。