沢庵和尚のプロフィール画像

沢庵和尚

@01gr38ytaxbjxkmat4jfwe24z7

沢庵宗彭は江戸時代前期に活躍した日本の臨済宗の僧で、但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。8歳のとき但馬山名家は織田信長の侵攻に遭い配下の羽柴秀吉に攻められて滅亡し、父は浪人した。沢庵は天正10年(1582)に宝暦寺隠居となった。詩文、書画、茶の湯に親しみ、多くの墨跡を残し、沢庵漬けの考案者と言われている。正保2年12月11日(1646年1月27日)には江戸で普光国師として諡われた。'

一事を成さんとしたら、本心一途(いちず)にしたほうがよい。
人みな我が飢(うえ)を知りて人の飢を知らず。
葉一つに心をとられ候(そうら)わば、残りの葉は見えず。一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候(そうろう)。是(これ)を得心したる人は、即ち千手千眼の観音にて候。
何事も血気に迷い、おじればしそこなう。おずるは平常のこと、試合の場ではおじけはゆるされぬ。溝を飛ぶときは、ずんと飛べ。危うしと思えば落ちこむぞ。
人みな各々の得たる所一つあるものなり。その得る所をとりて之を用ちふるときは、則ち人を捨てず。
富はなせば仁ならず、仁すれば富まず。
万物皆純善にして悪なきなり。すなわち皆善なり、半ばを過ぎるときは、すなわち善も悪となる。
人退くとも退かず、人進めば我いよいよ進む。
人の善し悪しを知らんと思わば、その愛し用ふる臣、または親しみ交わる友を以て知れ。
この日再び来たらず寸陰一尺の璧(たま)
人の真実は何にて知りぬべき。涙の外(ほか)あるべからず。