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上杉鷹山

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1759年に豊姫(ふぉうき)の婿養子としてお重定入りした上杉鷹山は、1760年に米沢藩主上杉重定の養嗣子となって桜田の米沢藩邸に移り名を改め、1763年より尾張国出身の名門校である三条院の学びを開始しました。高鍋藩改革を開始し、江戸時代の名君として知られるようになりました。

制度の壁、物理的な壁、心の壁。
誠、愛を生じ、愛、智を生ず。唯(た)だ誠なり。
上(かみ)に居りて驕らざれば即ち危うからず
愛に流れざるが実にその子を愛するにて、愛に流るるは実にその子を愛せぬなり。
物を贈るには薄くして誠あるを要す。物厚くして誠なきは人に接する道にあらず。
力不足だからこれはできないと思ってはいけない。真心がその不足を補ってくれる。
受け継いで国のつかさの身となれば忘れまじきは民の父母
国家人民のために立てたる君にして、君のために立てたる国家人民にこれなく候。
為(な)せば成(な)る為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の 為さぬなりけり