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相田みつを

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相田は1924年5月20日生まれの日本の詩人、書家である。足利市出身で、栃木県立足利中学校在学中から書や短歌、絵などに親しんでいたが、喫煙の濡れ衣をきさられ軍事教練の教官に嫌われ進学を断念した。その後、歌人・山下陸奥、書家・岩沢渓石の両師から技巧派の書家として確立した。その作品は、平易な詩を独特の書体で書いたもので知られている。第二詩集『おかげさん』(1987年)により約25万部のベストセラーとなり、詩人としての地位を確立した。最期まで仕事への意欲を衰えず、67歳で他界した。書家・詩人の相田みつを。1924年5月20日生まれ、栃木県足利市出身。 『おかげさん』などの作品で知られ、ミリオンセラーとなり詩人としての地位を確立した

ぐちをこぼしたっていいがな弱音を吐いたっていいがな人間だものたまには涙をみせたっていいがな生きているんだもの
いま泣いたカラスがもう笑う──大人のわたしにはそれができないからだばかりでなく頭が固いから心が固いから
背のびする自分卑下する自分どっちもいやだけどどっちも自分
自分が自分にならずして だれが自分になるのですか
現代っ子にとって一番弱いところはどこか?負けに耐える心、恥に堪える心、カッコ悪さに堪える心です。負けるということは自分の思いが通らぬことです。
どんなものでも、一番大事なところは表面に出ないものです
感動いっぱい、感激いっぱいのいのちを生きたい
使ったところが強くなる頭でもからだでもその反対使わぬところは
わたしがこの世に生れてきたのは、わたしでなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。それが社会的に高いか低いか、そんなことは問題ではない。
かんがえてばかりいると日がくれちゃうよ
つまづいたっていいじゃないかにんげんだもの
わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない。また人間として生れてきたからには、無駄にこの世を過ごしたくはない。
貴いぞ人間のいのちはかないぞ人間の生命
身近な人の死に逢うたびにわたしは人間のいのちのはかなさにガクゼンとしますこの世に人間として生きている尊さを骨身にしみて感じる時わたしには仕事への闘志が湧いてきます
一生勉強一生青春
きびしい自己否定がなければ、人間はすぐ傲慢になります。一方、絶対の自己肯定がなければ卑屈になります。卑屈にも傲慢にもならないためには、自己否定、自己肯定、共に必要ですね。
まける人のおかげで勝てるんだよなあ
トマトよりメロンのほうが高級だなんて思っているのは人間だけだねそれもね欲のふかい人間だけだな
けれどけれどで何もしないひとつひとつかたづけていくんだよ
あたらしい門出をする者には新しい道がひらける
聞いてくれる人のおかげでぐちもこぼせる。あなたのぐちを聞いてくれる人は、あなたにとって観音さまです。
雨の日には雨の中を風の日には風の中を
一生燃焼一生感動一生不悟
どのような道をどのように歩くともいのちいっぱいに生きればいいぞ
ケチだと自分の力を出しきれないわけだ。自分の力を出しきれなければいのちがちぢんでしまう。いのちがちぢんでは生き生きとしない。のびのびはつらつというわけにはゆかない。
墨の機嫌のいいうちに書く
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
そのうち そのうちべんかいしながら日がくれる。
あなたの心がきれいだから なんでもきれいに見えるんだなあ
明るくさわやかに充実したいのちを生きている人は明るくさわやかに充実した時間を作りながら生きている人です。
空気を意識し水を意識する時は空気や水が汚れている時意識をしないほうが自然空気や水だけでも意識しないですむあたりまえの世の中でありたい自然がいい自然がいい
セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃうどっちかやわらかければだいじょうぶやわらかいこころをもちましょうそういうわたしはいつもセトモノ
水にぬれなければおよげませんよ
自分の心のどん底が納得しているかどうかそこが大事
どうかもうなんにも言わないでくださいどうか黙っていてくださいわたしのことをこころから考えてくれるならば
いいことは おかげさまわるいことは 身から出たさび
柔道の基本は受身受身とはころぶ練習 負ける練習人の前で恥をさらす練習
いのちいっぱいに走ることが尊いのだいのちいっぱいに走ることではみんな百点満点なのだ一着二着の順位はあるけど一着も百点満点二着も百点満点そして──百点満点のビリなのだ
人間が生きるということは毎日何かに感動し、感激してゆくこと
あなたにめぐり逢えてほんとうによかった生きていてよかった生かされてきてよかったあなたにめぐり逢えたからつまづいてもいいころんでもいいこれから先どんなことがあってもいいあなたにめぐり逢えたからひとりでもいいこころからそういってくれる人があれば──
うばい合えば足らぬわけ合えばあまるうばい合えばあらそいわけ合えばやすらぎうばい合えばにくしみわけ合えばよろこびうばい合えば不満わけ合えば感謝うばい合えば戦争わけ合えば平和うばい合えば地獄わけ合えば極楽
「メロンになれメロンになれカッコいいメロンになれ! !金のいっぱいできるメロンになれ! !と 尻ひっぱたかれてノイローゼになったりやけのやんぱちで暴れたりしているトマトがいっぱいいるんじゃないかなあ
かんのんさまがみているほとけさまがみているみんなみているちゃんとみている
強がりなんかいうことないよやせがまんなどすることないよだれにえんりょがいるもんか声をかぎりに泣くがいいただひたすらに泣けばいい
夢はでっかく根はふかく
わたしのかんのんさまあなたのおかげでぐちもこぼせる
いくら多くの人に読まれても、ただ読まれるだけじゃ意味が無い。たった一人でいいから、その人のこころに深く届けば、それでいいんだよ。
そのときの出逢いが人生を根底から変えることがあるよき出逢いを
ともかく具体的に動くことだね。いま、ここ、を具体的に動く──それしかないね。具体的に動けば具体的な答(こたえ)が出るから。自分の期待通りの答が出るかどうかそれは別として具体的に動けば必ず具体的な答が出るよ。そして──動くのは自分。
他人(ひと)から悪口いわれればおもしろくない自分だが他人の悪口いうときは案外平気な自分です
自己顕示自己嫌悪わたしのこころのうらおもて
歩くから道になる歩かなければ草が生える
いいですかいくらのろくてもかまいませんよたいせつなことはねいつでも前をむいて自分の足で自分の道を歩くことですよ
いのちいっぱいじぶんの花を
渦巻いて 濁らない 滝つぼの水
いま、ここ をこの自分が、具体的に、どう動くか──無責任な傍観者になってはいけない。
あとじゃできねんだよなあいまのことはいましかできぬ
外灯というのは 人のためにつけるんだよな わたしはどれだけ 外灯をつけられるだろうか
毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出すきれいな足跡にはきれいな水がたまる
おたがいになあ不完全欠点だらけのにんげんですがね
なんでもいいからさ本気でやってごらん本気でやればたのしいから本気でやればつかれないからつかれてもつかれがさわやかだから
あとでやろうと思ってもやれた試しがないやるならばいつでもいまだ
どんな人のいのちでも平等に百点満点に尊い
いまが大事
他人の物指し自分のものさしそれぞれ寸法がちがうんだな
名刺の肩書きはほんとうの自分ではないほとけさまやかんのんさまは人間のような名刺は持っていない
常に自己が自己の本心を生きる。世間体や他人の思惑などにいっさい左右されず、自分が自分の本音を生きる。自己が自己のいのちを本腰で生きる。
七転八倒つまづいたりころんだりするほうが自然なんだなにんげんだもの
人間が人間として生きるときの時はいつでもいま昨日でも明日でもない今日ただいまのいま!
やれなかったやらなかったどっちかな
うそつきてあとあじわるきみずからにべんかいのうそさらにかさねつ
道元禅師のことばに、松も時なり、竹も時なりというのがあります。松は松の時間を生きる、竹は竹の時間を生きる山口さんは山口さんの時を生き、田中さんは田中さんの時を生きるということです。
にんげんはねえ人から点数をつけられるためにこの世に生まれてきたのではないんだよにんげんがさき点数は後(あと)
わたしは、人間のほんとうの幸せとは「充実感のある生き方」だと思っています。
人の批判をする時は、自分はいつでも傍観者。具体的には少しも動かない。自分では手を汚さず、何一ツしない。要するに、自分のことは棚上げなんですね。
その時になってみなけりゃわかんねえその場がきなけりゃわかんねえ
美しい花を見た美しい花は美しい枝についている美しい枝は美しい幹についている美しい幹は美しい根っこがささえているにちがいないその根っこは見えないその見えないところに大事な点がある
人生において最もたいせつな時それはいつでもいまです
あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための。
わたしは一生迷える凡夫のままでいい。うそかけひきのない自分自身のいのちを完全燃焼してゆけばそれでいい
水にぬれなければ泳ぎはできない全身ずぶぬれになれば度胸がすわる
かねが人生のすべてではないが有れば便利無いと不便です便利のほうがいいなあ
そのままでいいがな
毎日少しずつそれがなかなかできねんだなあ
仏にも 神にも頼む 資格なき わたくしゆえに 手を合わすのみ
ラクしてカッコよければしあわせか。逆に骨を折ることは不幸か。
なやみはつきねんだなあ 生きているんだもの
どういう時間を作りながら生きるか?それを決めるのは、だれでもない「いつでもこの自分!!」
待ってもむだなことがある待ってもだめなこともある待ってむなしきことばかりそれでもわたしはじっと待つ
私の このヘタな文字 つたない文章も 見てくれる人のおかげで書かせていただけるんです。「おかげさん」でないものは この世に一つもありません。みんな「おかげさん」で成り立っているんです。
『この花はおれが咲かせたんだ』土の中の肥料はそんな自己顕示をしないおれのような
おまえさんないま一体何が一番欲しいあれもこれもじゃだめだよいのちがけでほしいものをただ一ツに的をしぼって言ってみな
おてんとうさまのひかりをいっぱい吸った あったかい座ぶとんのような人
親切という名のおっせかいそっとしておく思いやり慈善という名の巧妙な偽善
たとえば人間の身体について──、目だけ、鼻だけ、指一本だけで、単独に存在することはできませんね、全体の関係の中で、お互いに関係し合って、生かし、生かされているわけです。それが縁起。つまり持ちつ持たれつの関係が縁起です。
だれにだってあるんだよひとにはいえないくるしみがだれにだってあるんだよひとにはいえないかなしみがただだまっているだけなんだよいえばぐちになるから
尊いものは遺産ではなくてそのために流された先人の汗である
弱きもの人間欲ふかきものにんげん偽り多きものにんげんそして人間のわたし
傲慢と卑下卑屈と尊大根ッこはひとつ自我という名のわたしの根
花を支える枝枝を支える幹幹を支える根根はみえねんだなあ