アレキサンダー・ポープのプロフィール画像

アレキサンダー・ポープ

@01gr3167et6wyf4k84bj9p126q

アレキサンダー・ポープはイギリスの詩人であり、1688年5月21日に生まれた。幼少の頃から詩作を試み、『牧歌』で16歳の時の作であるとして評判を博する。1715年から1720年の間、ホメロスの『イーリアス』の翻訳を行い、『オデュッセイア』の翻訳を1725年から1726年の間に行った。また、1725年に『シェイクスピア全集』を出版した。

人間は幸福ではない。しかし、つねに未来に幸福を期待する存在なのだ。魂は故郷を離れて不安にふるえ、未来の生活に思いをはせて憩うのだ。
理性は羅針であり、欲望は嵐である。
多くの人は、今朝方ほめそやしたものを夕方にはもう謗(そし)りはじめる。そして、つねに正しいことを言っているつもりだ。
未来についての無知は、神の定めた領域を埋めるためのありがたい賜り物なのだ。
あとの子は自然の愛情が、先の子は習慣的な愛情が養う。
自愛は現在の意識で当面の利益を見、理性は未来と結果を考える。
秩序は神の最初の法なり。
夜に批判したことを翌朝称賛することがあるが、常に最後の意見が正しいと考える。
夢見るのが恋人たち、目覚めているのが夫婦だ。
真の幸福はどこにも定着しない。探してもどこにも見つからないが、いたるところに存在する。金では決して買えないが、いつでも手に入れられる。
人間の真の研究対象は人間である。
神は人間の胸の裡(うち)に己が姿を映す。
空虚な称讃を呪え。
学者は「自然」の探求を悦び、愚者は余計なことを知らぬのを悦ぶ。
間違っていましたと認めることを恥じる必要はない。それは、言い換えれば、今日は昨日より賢くなったということなのだから。
神の謎を解くなどと思い上がるな。人間の正しい研究課題は人間である。
人にものを教えるには、教えているような振りをしてはいけない。知っていることでも、忘れたことのように言い出さなければならない。
希望という泉は永遠に人の心に湧く。
希望は人の胸に絶えることなく湧いてくる。人間は常に現在幸せであることはなく、いつもこれから幸せになるのだ。
あとの子は自然の愛情で、先の子は習慣的な愛情で親を愛する。
殺された者はすべて復仇(ふっきゅう)者を育む。
蟻の共和国と蜜蜂の王国に学ぶがよい。蟻は富のすべてを共同に分け合い、政府はなくとも混乱を知らない。蜜蜂は君主の支配はあっても、つねにここに富と財産を保持する。
高言する青年、話し好きの老年、彼らの弁解は異なるが、彼らの要望は同じである。善きにつけ、悪しきにつけ、名声を好む。
人間の正しい研究課題は人間である。
人間は初めて呼吸した瞬間に、死ぬべき素質を受け取るのだ。
私の人生というこの長い疾病
命令は神の最初の法である。
嫉妬は、学問にもあり、気質の優れた者にあっては競争心となる。
私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。
浅学ほど危険なものはない。
人間はすべて善であり、悪でもある。極端はほとんどなく、すべて中途半端だ。
言い訳は、うそをつくより悪質で恐ろしい。なぜなら、言い訳はうそを守ってしまうからだ。
弁解は飾られたウソにすぎない。
女は彼女と恋に陥っている男を憎むことはまずないが、多くの場合、女は彼女と友だちである男を憎む。
男たちの中には仕事を選んだり、亭楽を選んだりする者がいる。一方、女はすべて心では放蕩者である。男たちのある者は静寂を、他の者は政争を好む。だが、淑女は誰でも人生の女王でありたいと願っている。
正直な人間は、神の創造した最も気高い作品である。
天はすべての人間から運命の帳簿を隠す
自然が人間の母なら、習慣はその乳母で、知恵も勇気も才能も、それを悪くするばかりである。
人間は神に、神は天使になろうとしている。
自分の感じ方に自信が持てない時は、沈黙していなさい。
愚か者は、天使も二の足を踏むところに突進する。
過失を犯すことは人間的である。許すことは神的である。
力がまず征服し、征服が法律を作った。
時はいっさいを征服する。我々は時に従わねばならぬ。
我々の判断は腕時計と似ている。一つとして同じ時を指さないのに、めいめい自分の時計をあてにしている。
迷信は暴君に恐怖を与え、圧制に参与し援助を与え、服従者を神とし、人民を奴隷にした。