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カール・ヒルティ

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カール・ヒルティは、1833年2月28日にスイス生まれの法律家、政治家、哲学者、著名な文筆家として活躍し、宗教的倫理的著作の著者として有名です。主要な作品に『幸福論』、『眠られぬ夜のために』などがあります。ヒルティは、聖書の言葉を重んじており、彼が最も愛読して感化を受けたのは聖書でした。

我々が人生で直面する憎しみのほとんどは、単に嫉妬か、あるいは辱められた愛にほかならない。
よい思想は決して人間独自の仕事ではない。それは人間を通して流れ出るだけのものである。
愛なくしては、何人(なんびと)も、優れた才能を持っている人でさえも幸福ではありえない。
われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に良い習慣を養うように心掛けねばならぬ。
仕事に対する考えを整理するとか、熟考するとか口走るのは、おおかた仕事を逃れる口実である。
生涯の幸福な時は、全体的に見て、仕事をしている時である。
悪人が受ける主な罰は、彼ら悪人が善心に立ち還った瞬間に、よりよくなろうと願っても、もはや善の道に還ることが出来ないという点にある。
人生において最も耐え難いことは、悪天候が続くことではなく、雲ひとつない日が続くことである。
何事が起ころうとも、そこから利益を引き出す力は私の中にある
つねに偉大な思想に生き、つまらないことは軽視するように努めよ。これは、一般的に言って、人生の苦難と悲哀を最もたやすく乗り越えさせる道である。
寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。
川の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべての人の心を掘って耕してくれる。病気を正しく理解してこれに堪える人は、より深く、より強く、より大きくなる。
才能と意志の欠けているところに、いちばん嫉妬が生ずる。
病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路に過ぎない
本当に重要な人間で、多くの苦難を受けずに生きた人はかつてなかった。
恐怖は常に人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の役目を果たす。
人間はだれ一人として幸福を求めないものはない。(中略)ただ、幸福の内容はどんなものか、また、いったいこの世で幸福は見出せるかどうかという点で、人々の考えが一致しないだけである。
ある程度孤独を愛することは、静かな精神の発達のためにも、また、およそ真実の幸福のためにも、絶対に必要である
誠実な友として相携(たずさ)えて共に耐え抜いてきた苦労にまさる強いきずなはない。
諸君にとって最も容易なものから始めたまえ。ともかくも始めることだ。
試練は、将来我々の上に咲き出ようとする、新しいまことの幸福の前ぶれである。
常に今日のためにのみ働く習慣をつくるがよい。明日はひとりでにやってくる。そしてそれとともに新しい明日の力もまた来るのである。
最後の息をひきとるまで能動的であることは、現在の生活の意義であり、解決である。学者にとっても僧職にある者にとっても、──かくあることこそ我々の運命なのである。
人間は他人の嘘にはたやすく気づくものであって、ただその嘘が自分におもねるときか、あるいはちょうど都合のよいときだけ、それを信じるのである。
人を不安にするものは、事柄そのものではなく、むしろそれに関する人の考えである。
幸福は人間の生活目標である
働きのよろこびは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない。それは教訓からも、また、残念ながら、毎日証明されるように、実例からも決して生まれはしない。
愛はすべてに打ち勝つ。
まず肝要なことは、思いきって着手することである。仕事につく、精神をそのことに向けるということの決心が一番難しい。一度ペンや鍬を取って、最初の一字を書いてしまえば、あるいは最初の一打ちを下ろしてしまえば、すでに事柄は非常に易しくなっている。
眠れぬ夜こそ、神が与え給もうた貴重な時間である。
人生の唯一の理性的目的は、地上に神の国を築いていくことである。
苦難はたいてい未来の幸福を意味し、それを準備してくれるものであるから、私はそうした経験を通じて、苦難のときには希望を抱くようになり、逆にあまり大きな幸福に対しては疑念を抱くようになった。
喜びが何であるかは、元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが知っているのだ。それ以外の人たちは、真の喜びとは似ても似つかぬ単なる快楽を知っているにすぎない。むしろそのような人々は、真の喜びに耐えることすらできないであろう。
心配に対する最上の対策は、忍耐と勇気である。
幸福、それは君の行く手に立ちふさがる獅子である。たいていの人はそれを見て引き返してしまう。
旅支度が整ったら、荷物はなるべく軽くしよう。神が与えてくださった恵み深き和ぎに感謝しながら、さあ船を進めようではないか。
人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なものである。心の中のこの二匹の蛇からのがれることは、素晴らしくこころよいものである。
高慢は、つねにかなりの愚かさに結びついている。高慢はつねに破滅の一歩手前で現れる。高慢になる人は、すでに勝負に負けているのである。
丁寧に拒絶することが出来るのは、交際の上で重要な術である。
成功したいと望んでいる者は、心の安静、自己自身および他人に対する精神の平和、また多くは自尊心をも、放棄せねばならぬだろう。
明日は、試練に応じた新しい力をもたらすであろう。
人はただ善い事をしようと心がけるべきである。考えがその方向へ向けられていれば、常にその機会は見つかる。このようにすれば人生は大変楽になる。特に逆境にある時ほどそうである。
これまでに激しい苦悩も味わわず、自我の大きな劣敗を経験しなかった、いわゆる打ち砕かれたことのない人間は、何の役にも立たない。
女性は自分を求める人を求めはしない。むしろ若干冷淡な態度をとる人を求める。
忠告は雪に似て、静かに降れば降るほど心に長くかかり、心に食い込んでいくことも深くなる。
人生の幸福は、困難が少ないとか、まったく無いということにあるのではなく、それらの困難をすべて立派に輝かしく克服することにある。
幸福というのもまた、所有や状態ではなくて、むしろ一個の精神力である。
人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこびである。
成功はすべて人間の悪しき性質を誘い出し、不成功は善き性質を育てる。
人から受けた不正をいつまでも思い続けることは常に有害であり、そのうえ、たいていは無益でもある。そういう考えを急いで払いのけて、そのために元気を失わないようにするのが、一番よいことである。
人生の最大の分かれ目においては、常にまず「敢行」する事が大切だ。
人間が大きな進歩をするための道は、いつも苦しみによって開かれなければならない。
何かにつけて憤怒を抱くうちは、自己を制御していない。すべての悪に対しては、平静な抵抗が最高の勝利をおさめる。
宗教は生命の塩であり、力である。
物質を支配せよ!さもなければ物質はお前を支配する。
健康はそれ自身一つの宝ではあろうが、時として健康でなくても非常に幸福でありうる。
多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲労させる。
苦しみは人間を強くするか、それとも打ち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて、そのどちらかになる。
争いをしているときは、理のある側が、まず先に若干譲歩すべきである。理のない相手は、全然許すことのできないのが通常である。
すべて偉大なことは、小規模に、少人数から始まるものだ。
悩みのみが正しい意味で、人を謙遜にする。
神に代わって人間を支配する三つの力である、金と名誉と享楽との関係を断ったときに、人は初めて自分を自由に感じることができる。
「幸福」という言葉には、何か憂うつな調子がある。それを口にするとき、すでにそれは逃げ去っている。
幸福を得るには、あらゆる人間の性質の中で、勇気が最も必要である。
時間と働く力を(同時に)得る最良の方法は、一週に六日(五日でも七日でもなく)、一定の昼の(夜中でない)時間に、規則正しく働くことである。夜と昼となし日曜日を働き日とすることは、決して時間と働く力を得ることのない最悪の方法である。
過度に謙遜な人を真に受けてはいけない。ことに、自分で自分を皮肉るような態度を信用してはいけない。その背後には、たいがい虚栄心と名誉心の強烈な一服がひそんでいる。