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北条民雄

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1914年9月22日日本統治時代の韓国の京城で生まれ、徳島県の阿南市下大野町で育った小説家である北条民雄(旧字体:北條民雄)は、1932年に結婚したのち、1933年に19歳でハンセン病を発病し破婚し隔離生活を余儀なくされた。1934年に入院した全生園で創作を開始し、ハンセン病を克服しながら原書を作成した。その作品には、1935年「間木老人」や1936年の文学界賞受賞作品「いのちの初夜」などがある。'

きっと生きられますよ。きっと生きる道はありますよ。どこまでいっても人生にはきっと抜け道があると思うのです。
あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。というよりも、あきらめと戦うためには私はけっして自殺をも否定しない。死んで勝つということは絶対ないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。
私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は、実に、このあきらめと戦うことである。
私にとって最も不快なものはあきらめである。あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。