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小林秀雄

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小林秀雄は、日本の文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家である。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想などから多大な影響を受けた。本居宣長の著作、近代以前の日本文学にも造詣が深かった。妹の高見沢潤子が作家・随筆家であった。東京市神田区(現在の東京都千代田区)猿に生まれた。'

世の中に進歩するものなんてありゃしないよ。全てのものは変化するだけさ。その変化を君達が「進歩」と呼びたければ呼んだっていい。しかし、それは只(ただ)の変化であって、僕には進歩なんてものじゃない。
青年にとってはあらゆる思想が、単に己の行動の口実にすぎぬ。
スランプになったら、よく食って、よく眠って、ただ待っているんだ。
教えようと思っている人から教わった人は一人もいない。
現在の行動にばかりかまけていては、生きるという意味が逃げてしまう。
見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。
老醜という言葉は様々な生物にいえるが、大木には当てはまらぬ。大木は老いていよいよ美しい。
人間は何もしないで遊んでいる時に育つんだよ。
絶望するにも才能がいる。
作品とは自分の生命の刻印ならば、作者は、どうして作品の批判やら解説やらを願う筈があろうか。愛読者を求めているだけだ。生命の刻印を愛してくれる人を期待しているだけだ。
陰口をきくのはたのしいものだ。人の噂が出ると、話ははずむものである。みんな知らず知らずに鬼になる。よほど、批評はしたいものらしい。
僕らが生きてゆくための知恵というものは、どれだけ進歩してますか。例えば論語以上の知恵が現代人にありますか。
女は俺の成熟する場所だった。
患者の心を知るには、患者と直(じ)かに付き合う他に道はない。
いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。だから、学問が好きという意味が全然わかっていないのじゃないかな。
美術とは鑑賞するものではない。共に生き共に語らう人生の友である。
芸術は、タブーを持ったら衰退する。
自分自身と和する事の出来ぬ心が、どうして他人と和する事が出来ようか。
人間は思想に捉(とら)えられた時にはじめて真に具体的に生き、思想は人間に捉えられた時に真に現実的な姿を現す。
歴史意識とは──しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶(もだ)えだ。
しっかりと自分のものになり切った強い精神の動きが、本当の意味で思想と呼ぶべきものだと考える。
できあがった知をもらうことが学ぶことではなし、できあがった知を与えることが教えるということでもなかろう。質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。
理性は科学というものをいつも批判しなければいけないのです。科学というのは、人間が思いついた一つの能力に過ぎないということを忘れてはいけない。
精神の状態に関していかに精(くわ)しくても、それは思想とは言えぬ、思想とは一つの行為である。
実生活を離れて思想はない。しかし、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。
世間を渡るとは、一種の自己隠蔽(いんぺい)術に他ならない。