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ノーバート・ウィーナー

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ノーバート・ウィーナーは、アメリカ合衆国の数学者であり、サイバネティックスの提唱者として知られています。父親がポーランド出身のユダヤ人であるレオ・ウィーナーで、1894年ミズーリ州コロンビアに生まれました。実験的な厳しい英才教育を父親の指導を受けて、神童として11歳で学力テストで高得点を取り、アイヤー・ハイスクールを卒業しました。

脳がコンピュータに比べて持つ長所の第一のものは、まだ不完全にしか定義できていない漠然とした観念を扱う能力であるように思われる。
緊張した研究活動は、とことんくたびれるものだ。もしも学者が、研究に費やすのと同じくらいの期間、完全に休息をとることができなかったら、そのことはたちまち、彼の論文のでき栄えに現れるだろう。
本当に有能な数学者と、彼より能力の劣る仲間とを区別する何らかの特徴があるとすれば、それは、頭に浮かんでくる考えを一定時間だけ、必要なある仮の言葉で表すことができるような、自分にしか分からない臨時の記号を、彼は操作することができる、という点にある。数学者はこの力がないと、何事も達成することはできないだろう。
人間と機械(=計算機)にそれぞれ固有の活動範囲を任せてやることだ。人間には人間の活動範囲を、機械には機械の活動範囲を、である。
創造的な研究をしている学者は誰でも、どんな仕切りの壁を打ち壊そうと自由だ。
人間が機械(=計算機)よりも能力が劣ることになったら、結末は大変まずいことになるだろう。しかしそれは機械の罪ではない。そのようなことになったら、それは人間が自分自身のせいで敗れたのだと評価すべきである。
定型化されていない形で考えの内容を保持することは、絶対に不可能である。
数学は一種の芸術である。
見るも哀れなのは、短い青春がたちまち灰色の単調な日々の長い行列に取って代わられる人の一生である。
数学は若者の学問である。そうでなければ存在することもできないだろう。数学の勉強とは、若い時のあらゆる柔軟さとあらゆる辛抱強さを必要とする、頭の体操である。
自分の学者としての生涯がゆっくり下り坂にならないことを望むならば、十分な秘められた内容と十分な実際的な価値を持ち、自分が一生の間ずっと、選んだ方向に実りある研究を続けられることを保証してくれるような、未知の学問領域もしくは新しい課題を探すことに、その創造力の盛りの時期を利用すべきである。
機械の真価は、ひとえに人間がどれだけ賢いやり方で機械を利用するか、にかかっているのである。