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シャンフォール

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モラリストとは、現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求する思想家として16世紀から18世紀にかけて活躍したモンテーニュ、ブレーズ・パスカル、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールなどフランス語圏の思想家のことである。モラリストは人間の慣習や風習、性格や生き方などを省察するものであり、道徳家とは概念的には異なる。

全てを世論のせいにする人は、観客の趣味が低級なので、まずい芝居をして拍手喝采される役者に似ている。
結婚は、良識のあるものでなければ世間から受け入れられない。人の興味を惹くのは、人眼を惹く馬鹿げた結婚だけであって、後のはすべてさもしい打算である。
不釣り合いな結婚の中でも最悪のものは、心の釣り合わない結婚である。
知恵は人生を生きながらえさせ、情熱は人を生かす。
流行の推移は、貧者(ひんじゃ)の巧知が富者の虚栄心に課する税金である。
賢者とは何か。法に対して自然を、慣習に対して理性を、世論に対して自己の良心を、謬見(びゅうけん)に対して自己の判断を対立させる人間である。
教育は、道徳と知恵の二つの基盤上に立たねばならない。前者は美徳を支えるために、後者は他人の悪徳から自己を守るために。前者に重点をおくと、お人好しか、殉教者しか生まれないし、後者に重点をおくと、打算的な利己主義者が生まれる。
人間の価値はダイヤモンドのそれと同じであって、大きさ、純粋度、完璧さの一定の範囲内では、値段が固定し示される。だが、この範囲を超えると値段がつけられず、買い手が決してつかない。
着想が豊かだからといって、その人間が知的だとは必ずしもいえない。配下に多くの兵士がいるからといって統率する将軍が立派だとは限らないのと同じだ。
社会情勢から見て人類の不幸は、道徳や政治の面において、「害を及ぼすものが悪である」と定義し得ても、「役に立つものが善である」とはいえないことである。
賢者より愚か者のほうが世には多い。しかも賢者さえ、心は分別よりも狂気で満ちている。
信念とは、精神の良心である。
自分の能力に意志を付け加えることのできぬ者は、まったくの能無しである。
離婚はきわめて自然なもので、多くの家では毎晩、それが夫婦の間に寝ている。
経済学者とは、とぎすまされたピカピカのメスと刃のこぼれたメスとをもって、すこぶる巧みに死者を解剖し、生者を残酷に取り扱う外科医のようなものである。
幸福を自分の家で見つけるのは困難であるが、これをよそで見つけ出すのは不可能だ。
女性がなぜ、男性との関係を言いふらすのか。その理由として上げられている大半は、男性にとって不利である。その真の理由は、この方法によってしか女性は男性に支配権を持つことができないからである。
金が金を生み出すように、成功は成功をもたらす。
人は、自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する。
最も無駄な日は、笑わなかった日だ。
話の本題から脱線する技術が、世の中における雄弁の最も偉大な秘策である。
世の中には三種類の友がいる。君を慕う友、君を忘れる友、君を憎む友である。
中傷は、うるさい蜂のようなものである。これを殺す確信がないならば、手を出してはいけない。さもないと、前よりいっそう激しい突撃をくり返す。
性格のない者は人間ではない。それは物である。
希望は、つねに我々を欺くペテン師である。私の場合、希望を失ったとき、初めて幸福が訪れた。
自惚れは苦しみの源泉である。自惚れが消えた時から、人生の幸福な時期が始まる。
どうしても慣れなければ、とうていこの世の中を生きていけない二つのものがある。歳月による損傷と、人間の不正とが、それである。
もし隣人を自分と同じように愛さなければならないのなら、少なくとも隣人が愛してくれるのと同じくらい、自分自身を愛するのが公平だ。
完全に無駄になった日とは、一度も笑わなかった日である。
社会は大きく二つの階級から成立している。食欲以上に晩餐会の多い連中と、食事の回数より食欲のほうが旺盛な連中と。
人生において笑うことなく過ごした日があれば、それは最も無為に過ごした日であることは疑いない。
立派な身なりの愚か者がいるように、見かけは立派な愚行がある。
世の中で最も金持ちなのは倹約家であり、最も貧乏なのは守銭奴である。
庶民階級出の者は、みな庶民の敵に回って彼らを圧迫する。
野心は大きな魂よりも小さな魂のほうにとっつきやすい。それはちょうど火が宮殿よりも、わらぶき家につきやすいように。
あまりにも卓越した性質は、しばしば社会生活を不向きにする。
恋愛のあとに結婚が続くのは、燃えさかる炎のあとに煙が続くようなものである。
愚鈍は、もし英知を怖れなければ真の愚鈍とは言えない。悪徳は、もし美徳を憎まなければ真の悪徳とは言えない。
美しさが衰えかけたとはいえ、まだ相当きれいな婦人でも、己の自惚れによって不幸になるし、滑稽にもなる。
真価を伴なわない大人物は、尊敬なき服従を受ける。
世の中で非常に活動的な人間は、すべて鈍感な人のように思われる。というのは、(そういう人は)世の中に心を惹きつけるようなものを何ひとつ見出せないからである。
運命と運命をとりまく衣装は、人生を一幕の芝居にする。上演が進むに従って、いちばん律儀な人間も、ついには自己の意思に反して役者にさせられてしまう。
世人は孤独に暮らす人を、社交を好まないと称するが、人が夕方ポンディの森を徘徊したからといって、散歩を好まないらしいと決めつけるようなものだ。
悪口はしつこいスズメバチだ。殺せる自信がなければ、こちらから手を出してはならない。手を出せば、前より狂暴になって襲いかかってくる。
生きることは病気である。眠りが十六時間ごとにその苦しみを軽減してくれる。眠りは一時的な緩和剤であり、死は特効薬である。
恋愛は結婚よりももっと興味深い。ちょうど歴史より小説のほうが面白いのと同じように。
格言の処世術におけるは、熟練した芸術におけるがごとしである。
恋をする男は自分の能力以上に愛されたいと願っている人間である。それが彼を滑稽に見せる理由である。
機会が二度も扉を叩くとは思うな。
大衆はほとんど、低俗な思想までしか上れない。
自尊心は多くの美徳の源泉である。虚栄心はほとんどすべての悪徳と悪癖の源泉である。
真の幸福は目に映らない。真の幸福は見えないけれども、私の場合には希望を失ったとき、初めて幸福が訪れた。