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庄野潤三

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庄野潤三(しょうのじゅんぞう)は、日本の小説家である。1945年(昭和20年)、九州帝国大学法文学部にて東洋史を専攻。第二次世界大戦後、大阪府立今宮中学校(大阪府立今宮高等学校)の歴史教員となった。1960年(昭和35年)に『愛撫』でデビューし、『プールサイド小景』で芥川賞を受賞した。「第三の新人」の一人として、都市生活者の不安定な日常を深く彫り上げた作品を発表した。晩年は、老夫婦の生活や孫とのふれあいをテーマに連作を書き継いだ。

男には怠けたがる気持ちと同じくらいに働きたがる気持ちがある。
やったり、やらなかったりではまるきりやらない方がいい。
人情味のある宿屋に泊りたいという気持ちは、誰しも同じであるが、ふだん不人情なことを平気でしていて何とも思わない人間が、温泉に行くときだけ人情味を求めるのは無理な話である。
われわれはまあこの世に間借りしているようなもので、何もむきになることはない。
すべて一つの道に打ち込んで一生を送る人には、どこか毅然としたところが感じられます。自分の本職のこととなったら、かりそめにもいい加減にしないという態度が見られます。
感傷は生きる力とはならない。
兄弟の多い家族に育った者は、子供のうちから「何でも自分の思った通りにはならないものだ」という悟りを得るようになる。まわりで否応(いやおう)なしにそういう躾(しつけ)をしてくれる。
世の中がどんな風に変わっても、人間が人間らしく生きてゆける世の中である限りは、義理も人情も、やっぱりあった方がいい。
鋭い感受性というものは、よき恋人としては必須の条件であるが、家庭へ持ち込むには少しばかり邪魔な荷物である。
ふところの寂しい恋愛というものは、出来の悪いマッチをするようなものだ。
人はぜいたくということはいけないことと頭から決めているけれど、ぜいたくが必要な時がある。
会社へ入って来る時の顔を見てごらん。晴れやかな、充足した顔をして入る人間は、それは幸福だ。