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田口ランディ

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田口ランディは、日本の小説家、エッセイストです。1996年、エッセイ『忘れないよ!ヴェトナム』を発表し、2000年6月に長編小説『コンセント』を上梓して小説家としてデビュー。性的オカルトを特徴とする複数の著作があり、2001年には『できればムカつかずに生きたい』で第1回婦人公論文芸賞を受賞。

生きるために、労働と所有以外の、別の根拠が欲しい。
恋愛というのは、相手を所有したいと思ったとたん、相手に見事に支配されてしまう。
わたしは「不安」なんだ。と自覚できるのはすごいことだよ。無自覚な不安が他者に向かうと「いじめ」、自分に向かうと「うつ」になる。
何かで埋めている。いつも埋めている。誰かといっしょにいれない時、自分と向きあわないために、心を埋めている。
人はいつも「いい人」ではいられない。関係性の中で「悪い人」にならざるをえないときもある。
喜びを共有した相手とだけ、私は悲しみを共有できると錯覚するのだな、と思った。いっしょに喜び合えない相手に、悲しみだけわかってもらうことは、私はできないのだな、と痛感した。喜び合えるということの先に、悲しみをゆだねる何かが生まれてくるのだ。
およそ何かを所有して意のままにあやつりたいと思った瞬間から、その対象物に自分は所有されてしまう。
どんな考え方もあっていい。間違いってのはない。どんな考え方も、世界にグラデーションを作るためにある。どんな考え方も、世界に濃淡を与え、世界を立体にする。
お金というのは、お金を所有したいと切望したとたん、お金に支配されてしまう。
他人のことはわからない、という出発点に立てたときから、ようやく他人の言葉をよく聴こうと思うようになった。「わからない」は私にとってすべての始まりだった。
自分の存在の一部分が消えてしまう空虚さ、悲しさ。それが失恋ってやつだ。
考えるのは頭だけじゃない。この体も考え感じる。体はたくさんのことを感じ考えている。
自分の顔が自分で見えないように、自分の心も自分では見えない。
感受性がなければ人は他者の苦しみを想像することができない。でも、優れた感受性は他者の苦しみによって自分をも破壊する。