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武満徹

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武満徹は、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開し、和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」で日本を代表する現代音楽家となった。1930年10月8日に東京都本郷区(現:文京区)で生まれ、かなりの変わり者の両親と共に育つ。学生時代からコレスポンデンスクラブに入り、外国人と文通をしたりアメリカに行くことを考えたりと、当時の社会と離れた振る舞いをしていた。

背中は飾る事が出来ないから、指揮者は聴衆の前に己の全てを曝(さら)すことになる。
オーケストラは百人程の音楽家が一堂に会して演奏するわけですが、その素晴らしさは、一人一人音楽的にも違う考え方や異なる日常生活をしてる演奏家が集まって、しかも一人の指揮者の元に、ある共通のなにものかを表現することだろうと思います。
ジャズは生命を証すものなのだ。だから、ジャズの音楽的特性である即興の方法が、最もジャズ・スピリットにかなったものであるのはいうまでもない。
私が奇異に感じるのは、かなり知的な人の「私は全く音楽がわからない」という言葉です。音楽というものをわかるとか、わからないという次元で問題にしている態度こそ、実は私にはわからないのです。
音楽は、自分が音符を書き表したら、それですべてが終わってしまうというものではなく、それをだれか他の人に演奏してもらうか、あるいは自分で演奏しなければならないのです。そして、そこに聴衆がいなければ、本当の意味で音楽は成就しないわけです。
ぼくは絵が好きだから、絵を描いてその上に水を散らし、そこにインクを落とす、するとインクが思いがけない運動で思いがけない方向へ散ります。それと同じように音を追いかけるときに、ほかの音がもっとにじみ合ったりすることがないものか、というようなことを考える。
音楽というものの根本を考えれば、それはある意味では、未分化の挙動というか、生の挙動そのものだともいえましょう。それは、泣いたり、笑ったり、あるいはクシャミをしたり、というようなこととも深いつながりをもっているだろうと思います。
武満徹:「しかし何故共産主義には独裁が出て来てしまうんでしょう。 ひどい矛盾ですよね」チェンドリン:「それは共産主義が本来無謀な理論だからですよ。 無謀な理論を理性で説得するわけにはいきませんからね。 結局、力と恐怖で押さえるしかない。 だから独裁しかありえない」
聴く人の期待を裏切るにせよ、音楽をやるしかない。
自分はなぜ音楽をやっているのか、というと、音楽を通して他と結びつきたいという気持ちがあるからです。
"音"というものは、例えば、ドレミのドの音とはいえ、オーボエが吹くのと、フルートが吹くのとではまるで違うものです。"音"自身を生きたものとしてとらえるといういい回しは、必ずしも適当ではないけれど、ひとつひとつの"音"には全く違った運動があります。
音楽がわからないというひとは、たぶんいないだろうと思うのです。なのに音楽がわからないというのは、専門的な知識がないと理解できないというような先入観や思い込みがあるからです。
音楽は、生活の中から生まれて、常に個人から出発して、そしてまた個人へもどるものです。音楽というのは、抽象的なものだといわれていますが、たしかに数理的なこととわかっているし、そういう面もありますが、音楽というものはやはり具体的なものなのです。
音楽はつねに完結することなく、変化しつづけてゆくものです。