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谷川浩司

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谷川浩司は小学生の頃、父が兄弟喧嘩を止めさせる目的で将棋を指させたことで将棋の知識を得た。ルールを百科事典から調べたうえで地元の大会で面白さを感じるようになった。負けず嫌いであった谷川は兄弟喧嘩の時に駒を投げつけたり噛んだりしたという。[7]OTHERS'

現状は悲観的に、将来は楽観的に。
何事に対しても“できる”という方向で考えないと、物事は進まないのである。“できる”という方向から攻めると、思わぬアイデアが生まれるものだ。
強くなる時に、あまり苦労しないで効率よく強くなった人は、弱くなるのも早いのではなかろうか。
まったく関わりない偶然としての幸運などない。積み重ねた努力や、そうした自分を盛り上げてくれる人たちに応えようとする気力が、無意識のうちに局面に最良の一手としての、“強運”を導いてくれるのではないか。
勝っても、それで自信過剰になり、努力を怠れば勝ったことがマイナスになる。負けたとしても、その敗因を冷静に判断し、次につなげるべく努力していけば負けたことがプラスになる。
本当の強さとは、どういうものか?それは、見たこともない局面を見せられ、その中で最善手を自力で発見できるか、どうかなのである。
才能という言葉が必要となるのは、ある高さまで行ってからで、努力によって自分の力を最大限にまで高め、その限界を乗り越えようとする時に、初めて才能というものが必要になってくるのではないだろうか。
余りに多くの情報を手に入れすぎると、逆に先入観に囚われて独自の発想が出なくなる。大事なのは「見て忘れる」ことです。
物事を推し進めていくうえで、その土台となるのは創造力でも企画力でもない。いくら創造力や企画力を働かせようとしても、道具となる知識や材料となる情報がなければ何も始まらないのだ。知識は、頭の中に貯えられた記憶の体験が土台になるのである。
強い人ほど個性がある。ひとつには自信ということがあると思います。下のうちはこんな手をさしちゃって笑われるかなと思いますけど、上になっていくほどこれでいいんだ、正しいんだと自分に自信がついてくるから。
反省は、失敗を客観的に分析して、これからに生かせる未来思考なのだ。
ただ時間を費やして考えているだけでは意味がないのだ。何を何のためにどう方向づけて考えるのか。思考とは結果を導き出さなければ、ただの時間の無駄遣いでしかない。
負けたことに対し反省はしても後悔はしない、負けたこと自体は忘れるのが最善手です。
普段(練習将棋で)は自分が一番弱いと思って指し、大会では自分が一番強いと思って指す。
「負けず嫌い」というのがないと上がれない。
大事なのは、負けた経験や挫折感を、後の人生でどう生かすかです。生かすことができれば、負けや失敗は長い人生の中で失敗にならなくなる。むしろ、とても大切な糧にできる。
最初から強い人はいないわけで、やはり最初は負けっぱなしですから。「何を!」と思って続けていく人が強くなるのでしょう。それは何にでも最初あるんでしょうね。
毎日の努力の積み重ねを、それほど苦にせずにできることこそ、才能といえる。
本当に強い人とは、対局中にも人への配慮を忘れないような、心のゆとりをもっている人だと思う。
「負けました」と言って頭を下げるのが正しい投了の仕方。つらい瞬間です。でも「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいいかげんにしている人は上にいけません。
自らの負けを潔く認めることが、次の勝利へとつながっていくのである。
一流の素質は、「好き」と「努力をし続けられる」こと。
相手の選択肢を狭くする指し方を選ぶと、自分の選択肢も同様に狭くなってしまうという傾向もあります。
負けて悔しいのは当たり前、また悔しくなければ次に勝つことはできない。大切なのは、負けて悔しい気持ちを(早く)断ち切ることです。
勝負事に限らず、何事も腰がひけては前に進めない。攻めの気持ちがあると、集中力が高まり、迷いが吹っ切れる。
ミスには、それ以前に、誘発する他の原因がある。
何度も何度も負けたとしても、自分の道をひたすら歩き続ければ、やがてそこに一本の道が拓けてくる。
実力のある人は、姿勢からして端正である。
他の人が「これは無理だよ」と思っていても、自分が「できる」と思っている間は可能性があるのだ。
いい時は焦らない。悪い時はあきらめない。
勝負の世界に偶然はありません。一夜漬けは通用しない。毎日毎日の積み重ねがすべてなんです。
充実している時にこそ、現状を打破するやる気を持つことが大切なのだ。
登山家は山に迷ったら、元の場所に戻って再スタートするそうだ。迷ったときは原点に戻って再スタートすればいい。それが、いい人生につながる。
勝負師の条件は、負けた悔しさをバネに勝つことだ。そして、勝ちたいという気持ちを持ち続けることである。敗者の美学という言葉があるが、負けて満足するのは自己満足でしかない。
落とし穴がある。経験はプラスにもなるが、マイナスになることもあるのだ。
どのような不利な局面になっても、最後まで諦(あきら)めないこと。そして同時に、負けを認める潔(いさぎよ)さも大事である。
「こうあるべきだ」という思考からは、柔軟な発想は生まれないのだ。当たり前の中に隠された物を探り出そうという発想が、固定観念を打破するもとになるのである。
(調子の)いいときは焦らない、悪いときはあきらめない。最後は自分が勝つようにできていると思って、臨めばいい。