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トーマス・マン

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パウル・トーマス・マンは、ドイツ出身の小説家、評論家である。リューベックの富裕な商家に生まれ、当初は実科を学んだが、処女小説『転落』が認められて文筆を志した。1929年にノーベル文学賞を受賞し、1933年にナチスが政権を握ると亡命した。終戦後もドイツに戻ることなく、『ドイツとドイツ人』などの一連のエッセイや講演でドイツを評価し続けた。'

世論のために闘う機会を持たないならば、世論は存命しえない。
苦悩による洗練は、幸福や富裕による洗練よりも、いっそう高い、いっそう人間的なものである。
無名と貧窮の歳月、実はこの歳月こそ、最も実り豊かな時代であったのだ。
人が意見のために闘うチャンスを持たないならば、意見は存在し続けることはない。
芸術家は感情と思想、美と倫理、陶酔と良心という相反する2つのものに挟まれて苦悩するのだ。
用心深く時間を監視しているべきだ。
成功とは、自分の人生を自分の力で動かしている実感があることだ。
今私の一番好きな仕事といえば、夜星空を眺めることです。なぜといって、この地上から、また人生から眼をそらすのに、これほど好い方法があるでしょうか。
幸福とは愛することであり、愛する対象へわずかに心許(もと)なく近づいて行く機会を捉えることである。
時間こそ、我々がその中でいっそう賢くなり、いっそう良くなり、いっそう成熟し、いっそう完全なものとなるために、我々に与えられた貴重な贈り物である。
道に迷うこともあったが、それはある人々にとっては、もともと本道というものが存在しないからのことだった。
ある考えに支配されると、どこへ行ってもその考えが表されているのに遭う。風の中にまでその匂いが入っている。
私達は闇から生まれて又闇へ戻ります。この闇から闇への間に私達の人生体験があるわけです。
土地私有という不法な権利が、世界各国民の半数以上の者からその自然を奪った。
命というものは、はかないからこそ、尊く、厳(おごそ)かに美しいのだ。
時間は過去を忘れさせる三途の川の水だといわれるが、旅の空気もそういう種類の飲みものであって、そのききめは時間の流れほどには徹底的ではないにしても、それだけにいっそうてっとり早い。
他人の感情、生活に想像力を働かせて、それを察知する技術、つまり、共感というものは、自我の限界を打破する、という意味で称讃すべきものであるばかりではなく、自己保存の上に欠くべからざる手段なのである。
時間というものはね、見張っていると、実にのろのろとしか進まないものなんだ。
人の臨終というものは、その人自身よりも周りの遺族たちの問題だ。
馬鹿にも様々な種類の馬鹿があって、利口なのも馬鹿のうちのあまり感心しない一種であるようです。
いつも愛されてばかりいる男など、うすらバカに決まっている。
政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しか持つことが出来ない。
(人生の)始めと終り、誕生と死とは誰も体験しません。これらは主観的な性格を持たず、現象としては全く客観的世界の領域に属しています。死とはそういうものです。
会話は文明そのものである。言葉は人と人を結びつけ、沈黙は人を孤立させる。
時間は平和そのものであり、戦争は時間に対する野蛮な侮辱、時間から無意味な焦燥への脱走以外の何ものでもない。
私たちが追悼と呼ぶものは、死者を呼び戻せない悲しみよりも、それを欲することができない悲しみだろう。
名付けるということは批評とまではいかなくても、少なくとも限定すること、未知なものを既知の慣れたものの中へ組み入れることを意味する。
実際私たちが死ぬということは、死んでいく当人よりも、むしろあとに残る人々にとっての問題なのである。
最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ。
私は平衡の人間である。ボートが右へ転覆しそうになると、私は本能的に左へ身を乗り出す、逆の場合には逆の動作をする。